四国八十八カ所霊場の第70番札所。
ここ本山寺の本堂は国宝です。
国宝建造物は香川県では2件、四国でも6件しかなく、その内の一つです。
鎌倉時代後期の1300年に建立されたもので、戦国時代の戦火に巻き込まれることなく、その姿を現在まで残しています。
境内には他にも国指定重要文化財の仁王門や、四国霊場では4か所しかない五重塔など重要な建造物が多く残っており、見応えがあります。
また、国道11号線から近く、駐車場も広いので、アクセスがし易いのも良いです。
馬頭観音様が本尊のお寺さんです。
確か88箇所のなかでも珍しいはずですね。
場所は市街地にあるのでお参りはしやすいお寺さんです。
駐車場は山門前に広めにあります。
四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔が目印。
天暦3年(950)の建立でしたが損傷が激しく明治43年に再建されました。
また、本尊は馬頭観世音菩薩で四国霊場では唯一のもの。
頭上に馬頭をいただく観音様で、祀られている本堂のそばには馬の像が控えています。
大同2年(807)平城天皇の勅願により、弘法大師が七十番札所として開基。
当時は「長福寺」という名で、本堂は大師が一夜ほどの短期間にて建立したという伝説が残ります。
およそ2万平方メートルの広大な境内には国宝の本堂はじめ、仁王門、五重塔、鎮守堂、大師堂、十王堂、赤堂(大日堂)、慰霊堂、鐘楼、客殿などが並び、大寺として栄華を極めた当時を偲ばせます。
天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたといわれます。
この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれています。
その後、「本山寺」と名を改め、今に至ります。
香川県三豊市にある70番札所【本山寺】1枚目、国指定重要文化財の仁王門2枚目、本堂は1300年建立の«国宝»です!3枚目、四国霊場でも4か所にしか無い五重塔。
五重塔が立派です大修復の予定があるそうで、その前の特別見学会がありました。
明治に再建立してすでに百年経過してるのですが、どこを修復するのかと思うぐらい、立派な五重塔です。
手入れの行き届いているお寺。
五重塔は只今改装中。
五重塔が圧巻です、本堂は国宝で境内も綺麗にされており八十八箇所霊場の中でも記憶に残る所です。
市中にあり参拝の容易なお寺、駐車場は無料電話。
修復中の5重の塔が有り由緒歴史を感じられる。
第70番札所の本山寺さまです。
平坦な立地ながら、五重塔と本堂が立派です。
参拝者が少ない月曜日にお参りしてきました。
改修中の五重塔は養生シートも取り払われ全貌が観る事が出来ました。
圧倒的な存在感。
本山寺境内には余分な飾り物、置物が無く寺本来の姿、美しい姿が在り、保たれていると思います。
納経を終え山門をあとにするまで他の参拝者に遇う事は或りませんでした。
3月3日に 訪れ 久しく目にしていない 雛飾りを 見ることができました。
境内は 清々しく 何処か 善通寺に似ている雰囲気がありました。
広く 纏まった お寺。
五重塔の塔も凛としていて、感動します。
敷地も広く、やはり五重塔は圧巻でした。
立派な五重塔があります。
四国八十八箇所霊場のなかでも四ヶ寺にしかありません。
国道から少し入った場所にあり、五重の塔も健在の霊場札所でした。
石に希望の言葉を書写する奉納が良かった!
5重の塔弘法大師般若心経70番札所本山寺。
2020年逆打ち遍路自転車で周っています。
境内には五重塔があります。
広い境内に五重塔の大修理が終わって、綺麗になっていたのを見られて、気持ち良くお参りが出来ました。
四国八十八カ所霊場の第70番札所。
一番の見どころは空にそびえる五重塔。
明治43年(1910年)に再建されたものということです。
馬頭観音や、鯉の泳ぐ池など、境内は日本らしい美しい景観を楽しむことができます。
本堂では、般若心経などを唱えるお遍路さんの姿をよく見かけます。
こちらには、願い事を書いて奉納できる白石も置かれています。
本堂の裏手の方に、御朱印をいただける社務所があります。
この寺のことを、江戸時代初期の『四国損礼霊場記』は「本山寺宝持院」と書いています。
この寺は五重塔がそびえているので有名です。
この五重塔は大正二年(1922)造営の新しいものですが、古色蒼然として鎌倉時代の建築ではないかと見間違えるほどです。
三豊平野のただなかにそびえて、立派に見えます。
この唐を目指して歩くのはまるで大和路を歩く「古寺巡礼」のような気分です。
本山寺には、鎌倉時代(寺伝では平安時代)の建築様式の五重塔の初層だけが残っています。
本堂も鎌倉時代の建物(国宝)ですから、四国霊場の中では古い建築が残っている寺です。
本山寺の奥の院は、もとは長福寺といったようです。
石切り場のようなところを通って本山寺から三キロほど山の中に入ると、寺の跡がありますが、あまり大きな規模ではありません。
参道には鎌倉時代中・末期あたりの五輪塔がたくさん残っています。
これらの五輪塔は、ながく伝わることを意図したわけでもないでしょうが、幸いにも坂の上の崖が上部だけ庇のように残っていて、運よく保存されたのだとおもいます。
その中でも完全な姿の五輪塔が、五、六つ、本山寺の境内に移されています。
文化財に指定していませんが、十分に文化財としての価値がある石造五輪塔です。
奥の院の寺地には宝証印塔が二基残っています。
これも鎌倉時代中期以前の塔です。
奥の院の重要性1 霊場に行かれたら、まず奥の院を訪ねてください。
そうすると、そのお寺の本質がよくわかると同時に、四国遍路とはいったいどういうものかということがわかります。
本山寺の奥の院の奥に入ると滝があります。
ことによると、この滝の当たりが行場で本当の奥の院があったとも考えられます。
七宝山という山を登りつめると、海を眺めることができます。
七宝山の山すそが観音寺市の町。
ここでも奥の院から山を越えて海に行く、あるいはそこから戻ってくるという辺路修行があったはずです。
そのSTORYは、①仏像のかたちをした石が辺賂の海で拾われる。
②その石をまつったところが奥の院となり、これを拝む人には、仏様が海のかなたからやってきて福を授けてくださる、と広がるわけです。
③そこにお堂ができます。
最初は旅僧が行ってしばらく留守居をしました。
④明治維新以後も、四国八十八か所の霊場の中には、旅憎がしばらくそこに留まってお守りをする、次の人が来て半年なり一年なりお守りをするというように、旅僧が交代でお守りをしていた寺がたくさんあります。
⑤しかし地理的に参詣に不便だということで、街道筋にお寺を移しだのが現在のお寺。
⑥海から上がった石をまつったところは奥の院になりました。
四国の八十八か所では、唯一馬頭観音が本尊です。
そこからかつては牛馬の安全を折る信仰があったところと推察できます。
本堂は鎌倉時代末期のかなり保存状態のよい建築で国宝です。
寺伝では、五重塔は天府二年にできたとされています。
仁王門は平安時代 の建築といっておりますが、そこまではいかないとおもいます。
本山寺には、大般若経六百巻が村回りをするという行事があります。
大船若緑六百巻を全部読むことはできないから転読する。
紀州の山間部では、本堂の中で巻物を投げたようで、かなり傷むとおもいますが、折り本ができる南北朝以前は床を転がしたりしたことから、転読というのです。
折り本の先を扇形に開いて、片方からサラサラと広げては、その間に七行、五行、三行と読んでいきます。
それが悪魔払いだということで、般若声といわれる大きな声で机をたたいて読んでいくのです。
かつて、本山寺ではお経を担いで村を回ります。
これも回って読む一つのやり方ですから、転読です。
住職が理趣分という四百九十巻のうち一冊だけもって七五三読みで読みます。
大般若の箱を担いで歩くのは村の青年。
村を一軒一軒回ります。
これを「般若の風」といって、風に当たれば病気にならないという信仰がありました。
このお寺は高野山真言宗に属しており、本尊の馬頭観音に対して、脇侍は阿弥陀如来と薬師如来です。
御詠歌は「本山に誰か植ゑける花なれや 春こそ手折れ手向にぞなる」で「手向にぞなる」と詠んでいるところをみると、おそらく奥の院は、亡くなった人の供養の寺だった。
それで鎌倉から室町時代にかけて、大勢の人が死者供養のためにここに登って、五輪塔をあげたわけです。
五来重:四国遍路の寺より。
五重塔があり現在改修工事中です。
寄付金を集めようとしているが素直すぎる。
住職夫妻の性格か?他の寺のように派手にするべし。
納経所の場所が落ち着く。
五重塔の瓦の奉納は、1000円、2000円、3000円の三種類。
完成が近いのでお早めに!100年後まで名を残すなら安い。
本山稲荷神社の管理をする寺間の土地を一藁家に売ってしまい(何代か前の住職が)寺の増築のお金のねんしゅつを理由に☝のちに本山寺の後継ぎでなかった息子が一藁家の女性と結婚して子をなした事は、あまり知られてない🌟一藁家と源頼朝のキズナ🌟千葉県いすみ市を発祥の地とする武士の一族岬町に『一藁(いちわら)(』という姓(かばね)がございまます。
姓(かばね)の由来には、こんな話がいいつたえられています。
むかしむかし、今から八百年ほど昔のことです。
伊豆の『石橋山(いしばしやま)の戦』に敗れた源頼朝(みなもとのよりとも)の軍が、この房州に逃げてきました。
総勢何百人もいた軍勢は今は二十人たらずです。
傷つき、血と泥によごれたあわれれな武士の一軍です。
敗戦のつかれと逃亡のつかれで、足どりもゆっくりでした。
たんぼで働いている人々は「戦に負けた落ち武者どもだ。
」「かかわりをもってはなんねえぞ」「なにをされるか、わかんねえかなあー」と、小さい声でささやきあっていました。
ちょうど、現在の江場土(えばど)にさしかかった時でした。
一軍が一休みしようと、道ばたの草むらに腰をおろしました。
ある者は足をなげだし、ある者は大の字にねころびました。
わらじのヒモも切れていました。
この落ち武者(むしゃ)の一軍にかかわるのをきらって、だれ一人として近づきませんでしたが「何もあなたがたの力になれませんが、せめて、これでわらじのひもでも作ってあげましょうか・・・」と、若者が手に一たばの藁をもって近づいてきました。
頼朝はこの親切な若者に感激していいました。
「本当にかたじけない」「・・・」「お礼に何かとらしたいが・・・」「いやいや、おらあ、お礼などいらねえ。
こまっている時は、おたがいさまだ。
どちらのお方で・・・」「かたじけない、かたじけない。
今はこのような身だが、やがて天下を取ったあかつきには、おまえの欲しい物をとらせよう。
なにか、欲しいもをいってみよ。
」「金がたまればドロボーがこわいし・・・畑に行けば、少しだが食べものはあるしなあ・・・」若者は、しばらく考えました。
「そだなあ、おらあ姓(かばね)がほしいなあ」と、いいました。
頼朝は「そうかそうか、姓(かばね)か。
姓(かばね)ならたやすいことだ。
今、しんぜよう」「何という姓(かばね)がよいかのう・・・」頼朝は、しばらく考えた後「そうだ、この地で一たばの藁をいただいたので『一藁(いちわら)(いちわら)』がよかろう」「この地で、この頼朝が藁一たばをおまえにいただいたことを、後々までつたえたいのじゃ。
」と、おっしゃられました。
「『いちわら』という姓(かばね)ですか。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
」なんどもなんども、若者は頭をさげて礼をいいました。
こんなわけで、『一藁(いちわら)』という苗字がつけられました。
今も、岬町には一藁(いちわら)という姓(かばね)が残っています。
香川に入ると駐車場代を集られ無いので、ホッとします笑 愛媛の南部は違いますが、今治・西条近辺のお寺の殆どがお遍路から駐車場代を集るとこばかりで、守銭奴に納経してもらうのが嫌でしょうが無かったので、ありがたいです🙏
工事中でした。
少し残念。
太刀受けの阿弥陀如来は大師堂の中の真ん中の大日如来像彫像予定の左手…向かって右手におられました。
きゅうり加持は毎年土用の丑の日に一本一本を加持祈祷して埋めるので大変らしいです。
2017年4月22日に再度参拝…五重の塔は修復中で囲いがあり見えません…ご本尊の前立仏、愛染明王、不動明王を拝顔…偶然開帳期間でした。
お寺の宗派は 高野山真言宗 創建年(伝)807年 本尊は 馬頭観世音菩薩像 開基(伝)は弘法大師 また四国八十八箇所の70番 とあります平坦で広大な境内には 本堂を初め多くの伽藍を配する由緒あるお寺で 管理も行き届きチリ一つない程の徹底に驚きです国宝の本堂は 1300年鎌倉時代の再建で 堂内には大型の厨子があり さらにソノ中には 三基の国宝の厨子が入っており 中央の厨子には御本尊の馬頭観世音菩薩像が安置され左の厨子に 薬師如来が 右の厨子に阿弥陀如来が安置され 全ての仏像が 絶大秘仏との事ですまた国宝附(ツケタリ)で 棟木1枚があります他の建物文化財としては 仁王門が重要文化財で 室町時代中期建立の八脚門で 切妻造りの本瓦葺で お参りだけではナク 見所の多いお寺でもありますなお 四国には 国宝の建物が六棟あり ソノ中の一棟がココ本山寺の本堂で 神谷神社の本殿と二棟の国宝が 香川県に有りますと言う事で ホントすごいですネェー❗
五重塔が改装中。
バザーをやっていてごちゃごちゃしていた。
白装束に印をもらう時、当該箇所を出していないことを注意されていた。
ハンコ押すだけで200円もとるのにまだ注文があるらしい。
いい商売だ。
2014/09/2215:58 68番神恵院・69番観音寺の駐車場から出発し70番本山寺に向かう。
戝田川に架かる橋の手前を左折し進むと本山寺方向4㎞(稲積橋)表示を右折する。
橋を渡り県道5号線を左折、16:05加麻良神社前、16:07国道11号線交差点。
この辺りから本山寺の七重の塔が左側に見えて来た、本山寺はもうすぐだ。
16:11 仁王門の左側、第七十番札所 七宝山 本山寺(しっぽうざん もとやまじ)の駐車場に到着。
馬頭観世音菩薩を本尊とするのは、四国霊場中、唯一この寺だけ。
807年平城天皇の勅願で弘法大師が本堂を一夜のうちに建立したと伝えられる。
本尊と脇仏の薬師如来、阿弥陀如来も一夜で刻んで安置したという。
当時は七堂伽藍、24坊の四国では有数の大寺であったといわれる。
本堂は折衷様式の傑作とされ、国宝指定。
仁王門とその中の仁王様は国指定の縦横文化財。
16:17本山寺本堂、大師堂、納経所 16:43本山寺下山する。
名前 |
本山寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0875-62-2007 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
五重塔は改修中でしたが、入館料を払えば入ることができます。
本堂は国宝だそうです。
四国八十八ヶ所で馬頭観世音菩薩をご本尊とするのはここだけのようで、般若心経を唱えるとき、ご本尊の真言を探してしまいました。