今年は役が当たり本堂も雨漏りがしているのを我慢して...
今年は「よるしるべ」ならぬ「ぷちしるべ」が行われていました。
今年は役が当たり本堂も雨漏りがしているのを我慢している住職に頭が下がります。
この寺の敷地が高丸城(観音寺城)趾になります。
この城は、戦国時代の天霧城主香川信景の弟景全が、築城した居館で観音寺殿といわれていました。
天正7年(1579)天霧城が長宗我部元親の侵攻により開城すると、兄弟共に土佐勢に従いました。
その後、秀吉の四国侵攻を受けて、兄弟で元親を頼り土佐に落ち延びました。
この城は、天正15年生駒氏が讃岐守に封ぜられた時、秀吉によって内1万石を割いて大阪の御蔵入の料所にあて、観音寺城が代官所にあてられました。
しかし、豊臣氏の滅亡により廃城となりました。
城趾は約74アールのほぼ正方形の地形で、周囲に内堀をめぐらしていた跡が、明治時代まで端の池、城の池として一部残っていました。
今も城趾の北と東側は一段低くなっており、「殿町」など城跡を物語る地名等も多く、現在「一心寺」にある樓門は城の太鼓門を移したものと伝えられています。
一心寺近くの小公園に観音寺城の城址碑が建っています。
また殿町には城神がまつられ、琴弾宮境内十王堂には上坂丹波守の小祠があります。
光と音楽のコラボレーション。
山門はかつて存在した観音寺城(高丸城)の大手門を移築したもの。
戦国マニア必見。
近くの殿町という地名はその名残。
名前 |
一心寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0875-25-0838 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
駐車場も広く、参拝し易いお寺です!