なつかしい金次郎小田原の方だったのですね。
二宮金次郎『芝刈り縄ないわらじを造り、親の手助け、弟を背負い…』お馴染みのスタイル。
こちらのブロンズ像は、戦時中に金属の供出を余儀なくされた折にも地元の方々に大切に護られ供出を免れ、現存する一体となったと聞いたことがありました。
とても小さい印象を受けます。
製作当時のメートル法普及のために1メートルの大きさで製作されたとか。
報徳二宮神社 にある 二宮金次郎像 てす。
確か学校にあったような…今の学校には置いてないところが多いそうです。
なつかしい金次郎小田原の方だったのですね。
さほど大きくはないので、見逃してしまうかも。
昔は小学校に薪を背負って本を読んでいる二宮金次郎像が必ずあったように思いますが、今は見当たりません。
貧しいながら、家の仕事と勉強を両立させた人というイメージでその後どうなったかは当時は知りませんでした。
報徳二宮神社境内に二宮金次郎像を久しぶりに見かけました。
二宮金次郎は天明7年(1787年)小田原市の裕福な農家に生まれたのですが、酒匂川の氾濫により田畑を失ってしまい、更に青年期に父が亡くなってしまいました。
薪をしょっている銅像は貧困の中で母を支え、小田原まで薪を売りに行っている姿なのだそうです。
やがて母も亡くした金次郎は叔父に引き取られますが、叔父が嫌味で金次郎が夜に油を灯して読書をする事を「油の無駄使い」と言いました。
そこで金次郎は自分でアブラナを栽培して油を取りました。
やがて独立して二宮家を再興し、失った田畑を買い戻しました。
その手並みを聞いた小田原藩の家老から財政再建を頼まれ、成功し、そこから各地の600もの村や藩の立て直しを行い、救いました。
今で言う協同組合のルーツ「五常講」を発案しました。
二宮尊徳翁像の案内板には「道徳なき経済は戯言であり、経済なき道徳は寝言である」と刻まれていました。
境内には少年時代の誰もがイメージする二宮金次郎像と二宮尊徳翁像が二体、建っています。
名前 |
二宮金次郎像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
昭和天皇の御即位を記念して神戸の方が寄進された二宮金次郎像です、大量に作られたそうですが戦中の金属供出により現存するのは、この一体のみで貴重な二宮金次郎像です。
また神社の入口近くには二宮尊徳翁像もあります。