紅葉の赤、お地蔵さんの前掛けの赤。
第28番札所 大日寺 / / / .
こちらも、駐車場降りてすぐ山門あります。
そこから階段です。
綺麗にされてるお寺でした。
納経所でお茶いただきました。
素敵なお寺さんです。
道中もあまり険しくなく、あまり階段もなく高知県のお寺さんの中では行きやすい所だと思います。
お接待があり、コーヒーやお茶が頂けます。
納経所の方も親切ですよ✨
前日に香南市に宿泊し、こちらへ立ち寄りました。
境内は静寂に包まれていて、日の強さのお陰かどこか温かな雰囲気でした。
本堂をお参りさせていただき、納経所へ。
お屠蘇(お正月が近いためか⁈)を頂き、奥の院も巡りました。
車で行くには道が狭いのとくねくねと曲がりくねっているので運転は慎重に。
第28番札所になります。
長距離を移動しての到着は感慨深く、重厚な伽藍に感心します。
納経所は奥まった場所にあり、山門を出たところに遍路用品店があります。
ちょうど椿が咲いていて、参道の階段の脇の赤色のぼり、紅葉の赤、お地蔵さんの前掛けの赤。
とても綺麗に清掃されている境内に、赤がとても印象的で綺麗でした。
12/13参拝。
お寺としては少々こじんまりしていますが、こまかなところまで手が入った素敵なお寺です。
こちらの納経所はきちんと手が入った庭の奥手にあって大変素晴らしい。
こんなに雰囲気のある納経所はそうそうは無いと思います。
4回目の区切り遍路のスタート地点。
朝7時から納経所が空いているのは嬉しい。
静寂と緑豊かな札所でした。
近くには龍河洞やアンパンミュージアムなど見どころがたくさんあるので時間に余裕がある時にまた来たいです。
車で27番札所から参拝する場合は、鋭角に侵入するのですが、車高の低い車は下部を擦るので注意が必要です。
境内はとても綺麗で空気が澄んで心が洗われます。
しかし、トイレはちょっと老朽化が激しくオススメ出来ません。
奥の院の側に高知名水40選の1つの名水が湧いてます。
去年行きました、お寺としての風情が物凄くあるお寺で御座います、敷地内に入りました瞬間的に心が癒されましたような気が致しました、ありがとうございました。
南無大師遍照金剛🙏
第28番札所の大日寺さんです。
たくさんのお地蔵さんがありました。
モミジがあり、秋にまた伺いたいお寺さまです。
2020年に逆打ち遍路を自転車で巡礼しました。
四国霊場28番札所になります。
紅葉が美しいです。
階段はキツいですが、奥の院は直ぐ近くにあり、参拝しやすいお寺です。
本堂の屋根の美しさとお地蔵さんが印象的だった。
急な坂道を上がると駐車場があり、駐車場から歩いてさらに上がります。
山門をくぐり境内に入るとさらに階段がありその上に本堂があります。
駐車場の料金はお寺で払います。
法界山高照院大日寺(だいにちじ)は、高知県香南市にある真言宗智山派の寺だ。
第28番札所で、本尊は大日如来。
車で、大日寺に移動。
県道22号線から坂道を少し登ると、駐車場がある。
この上がり口が狭いので、大型車は下の駐車場に停めないといけない。
駐車場の横に売店がある。
その向かいが山門だ。
階段を上る。
鐘楼がある。
本堂。
平成9年に建てられた、まだ新しい建物だ。
しだれ梅がきれいだ。
大師堂。
大日寺-奥の院の霊水信仰 大日寺は、大日如来よりは薬師の信仰で成り立っています。
寺の寺伝には敏達天皇の時代に、唐の龍猛・不空か来て開いた寺だと書かれ、それを行基が中興したのだ、大日如来も行基が作ったのだと言っています。
一般の常識では、弘法大師が初めて日本に密教をもたらして、真言宗が日本で始まったということになっています。
しかし「大日経」という経典は、すでに奈良時代に渡ってきておりますし、何回も渡ってきましたから、弘法大師以前から密教が入ってきているということも『四国偏礼霊場記』は主張しているわけです。
また、一般の常識では、四国迦路は弘法大師が始めた霊場だといわれているけれども、行基菩薩が開祖とする霊場は多いのです。
行基は弘法大師よりもほぼ1世紀古い人だから、弘法大師以前から四国の辺路が開けていたのだ、ということを主張しょうとしています。
というのは、弘法大師よりもさらに古く四国の辺路が開かれていたと主張しているのです。
この『四国偏礼霊場記』を書いた寂本という人は、高野山のの坊さんです。
この書き方では、弘法大師が密教を始めたということを否定することになるのに、近世の人だけあって、そういうことは公平に書いています。
「此等は世人の信ずるに足、常のやうなり」というのは、世の中の人がそう信じているようなら、そのように考えていたらいいだろうという意味です。
「四国偏礼霊場記」は、この寺の奥の院について「本堂をさる事三十余歩にして、ふるき楠の七八囲ばかりの大きなるあり」と書いています。
現在は楠は枯れてしまいました。
仏像を彫ってあるところだけ切って、お堂に納めて、それが本尊になっています。
立木に刻んだ薬師如来があったのです。
修験道では立木に仏像を刻むということがしばしば行われます。
木そのものが神であり仏であるという、いわゆる自然崇拝の考え方が修験道の中にあります。
その自然崇拝を実践に移しますと、磨崖仏のように岩に仏像を刻んだり、生きている木に仏像を刻んだりするということが起こります。
それを実践したのが円空や木喰行道で、立木に仏像をたくさん彫っています。
大日寺の奥の院の楠の木に彫った薬師如来も楠本薬師と呼ばれて、たいへんに信仰があります。
札所の大日さんよりも、薬師さんの信仰でもっているともいえます。
そこから水が湧くので、奥の院はその水をいただくという霊水信仰を伝えています。
おそらくその霊水は弘法清水という大師が湧かせたという伝説が付いているのだろうとおもいますが、現在ではそれを見ることはできません。
法界山高照院大日寺(だいにちじ)は、高知県香南市にある真言宗智山派の寺だ。
第28番札所で、本尊は大日如来。
車で、大日寺に移動。
県道22号線から坂道を少し登ると、駐車場がある。
この上がり口が狭いので、大型車は下の駐車場に停めないといけない。
駐車場の横に売店がある。
その向かいが山門だ。
階段を上る。
鐘楼がある。
本堂。
平成9年に建てられた、まだ新しい建物だ。
しだれ梅がきれいだ。
大師堂。
狭くてカーブの多い山道です。
対向車には特に気をつけて運転してください。
【大日寺の歴史・由来】境内は四季折々の花が咲き、巡拝者の目を楽しませてくれる。
早春にはサンシュユの花、3月彼岸ごろにはしだれ桜、本坊前のコブシの花、10月中旬から十月桜や万両が咲き誇る。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の尊像を彫造し、堂宇に安置して開創されたと伝えられる。
その後、寺は荒廃したが弘法大師が四国を巡教された弘仁6年(815)、末世の人々の安泰を祈り、楠の大木に爪で薬師如来像を彫られ、これを祀って復興されたという。
以後、隆盛を誇り、七堂伽藍や末寺、脇坊も備わり、17世紀初頭の慶長年間(1596〜1615)からは土佐藩の祈願寺となって、堂塔も整備された。
しかし、明治新政府の神仏分離令によって一時は廃寺となったが、本尊は「大日堂」と改称した本堂に安置していたので救われ、明治17年に再興されて現在にいたっている。
行基菩薩作とされる金剛界大日如来坐像は、高さが約146cmの寄せ木造りで、四国では最大級。
また、脇仏の聖観世音菩薩立像は智証大師作と伝えられ、これも高さ約172cmと大きく、ともに国の重要文化財に指定されている。
また、大師が楠の立木に爪で彫られたという霊木は「爪彫り薬師」と呼ばれ、奥の院とされている。
その楠は明治初めの大風で倒れたが、跡地に一堂を建て、霊木として安置している。
この霊木は、頭、眼、鼻、耳、顔など首から上の病に霊験があらたかとされている。
薬師堂の脇には、土佐名水40選にも選ばれた大師御加持水が湧く。
(HP抜粋)
24番札所でのんびり過ごし25番26番と隣接した札所を楽しみ27番札所上峰寺まではぼちぼちの距離がありますここは55国道を歩ききった経験から続けざまココ28番札所を目指します途中には津波対策の鉄骨の避難場所が複数ヶ所あります疲れてます登りません😁24番札所からココまでは体力に自信あればいちんちで辿り着けます鉄道もバスも充実してるみたいで徒歩に拘らない方は利用したらよいかと思います🙏
いよいよ高知市街地か、と28番さん。
狭くて急な車道、出入りがキツイ。
毎回ちょっと怖い思いをする。
向かいの砂利Pもちょっと停めづらい。
薬師堂の近くに、名水が湧き出ていたと思います。
オランダ人姉妹が写真を撮ってくれました。
とても綺麗に整備されたお寺です。
お盆前に伺いましたが、その時期は特に念入りに手入れされている時期でもあります。
聖武天皇の勅願により行基が本尊の大日如来を刻み開創、その後弘法大師が本尊の縁日28日にちなみ、第28番札所に定めたといわれています。
江戸時代には土佐藩の祈願所として栄えましたが、明治の廃仏毀釈により廃寺となり、明治17年(1884)に再興しました。
門前の遍路用品店は菅笠や納経帳その他オリジナルの土佐和紙を用いた納経軸など充実していました。
土佐和紙は乾きが早いので絹の様にドライヤーが不要との事。
原理は不明ですが、朱印後のクリーニングも可能と説明されました。
名前 |
第28番札所 大日寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0887-56-0638 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
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可愛らしい猫ちゃんがゴロンゴロン寝転がったりしながらのんびり過ごしてました。
奥の院までは100メートルで穴の空いた石をたくさん積まれてました。