名前 |
観音山 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
現在は氷取沢市民の森と呼ばれているが、本来の名称は観音山。
戦国時代の武将、間宮康俊公の家臣団、金子、岡本、野本等各家が周辺に今も地主として住む。
交通の要所で観音山の東側は特に要塞として人口的に造成された巨大竪堀、堀切、切通し状道路、曲輪状の平場、城地形がよく残る。
旧金沢(かねさわ)道u003d六浦道が山越えのコースがこの山を通過する。
山頂からは金沢北条氏の本城だった青ヶ台城(阿王ヵ台~能見堂の森~赤井~能見台~片吹一帯)に繋がる重要な鎌倉防衛網の古道に接続していた。
麓から大谷戸広場の谷間を抜けた先の円海山の尾根道は古代からの製鉄物資輸送の“鉄の道”だった。