記念説明板の劣化が激しいようです。
こんなところにこんな看板か!と思いましたが要するにプールのあるところが昔飛行場だったんだと理解し納得。
一応周囲を散策してみましたが跡は特に確認できませんでした。
記念説明板の劣化が激しいようです。
2011年に撮影した文字がはっきり読める写真をアップしておきます。
「南海の花束」という太平洋戦争初期の映画に根岸海岸を離着水する九七式大艇が写っていると聞き、DVDを購入して雄姿を見ることができました。
この場所から南洋諸島へ冒険飛行していたかと思うと感慨深いです。
たまたま通りがかり、こんなところにかつて飛行場があったことを初めて知りました。
説明板が劣化して読み難いとのことでしたが、新しくなったようできれいになっていました。
根岸飛行場は、かつて神奈川県横浜市磯子区芝生町(現 鳳町)にあった、大日本航空により開設された日本初の飛行艇専用の民間飛行場でした。
1940年(昭和15年)3月12日、一番機の飛行を、横濱貿易新報(神奈川新聞)が報じている。
川西航空機製九七式飛行艇による、横浜-サイパン-パラオ間を結ぶ定期航空路の基地として、敗戦後の1945年9月の最終便まで運用され、占領軍に接収された。
現在、根岸駅近くのプールセンター入口交差点に「根岸飛行場跡」と記された記念碑がある。
こちらは1940(昭和15)年に大日本航空株式会社によって作られた日本初の飛行艇専用の民間飛行場だったと記されています。
看板の地図によると、大日本航空横浜水上飛行場は、現在の根岸プールセンターからその横にある根岸中学校、さらに首都高の海側までを含んだ約2万坪の広さだったようです。
飛行艇は滑走路は必要ではなく、離着陸は水上で行われるので、地上への滑走台があれば済んだようです。
根岸からサイパンまで10時間、さらにパラオまではプラス7時間かかったそう。
また根岸には飛行艇の乗員や空港関係者が大勢下宿し子供たちに南方の珍しい果物を運んできたそうです。
子供たちは物珍しくて嬉しかったでしょうね。
港町のイメージの強い横浜ですが、空の玄関口もあったことを知り新しい発見ができました。
根岸からサイパンやパラオの定期便が飛んでいたなんて驚きです。
市民プールの辺りは飛行場の名残なのでしょうかね?当時の賑やかな様子を思い浮かべます。
案内板が劣化して読みにくいです。
戦前・戦中は、ここからサイパンやパラオに向けて、飛行機が飛び立っていた。
説明板の劣化が激しい為、見た目も悪いし、内容も読み辛い。
貴重な歴史の資料なので、メンテはしっかりとやって欲しい。
根岸飛行場は、かつて神奈川県横浜市磯子区芝生町(現 鳳町)にあった、大日本航空により開設された日本初の飛行艇専用の民間飛行場でした。
1940年(昭和15年)3月12日、一番機の飛行を、横濱貿易新報(神奈川新聞)が報じている。
川西航空機製九七式飛行艇による、横浜-サイパン-パラオ間を結ぶ定期航空路の基地として、敗戦後の1945年9月の最終便まで運用され、占領軍に接収された。
現在、根岸駅近くのプールセンター入口交差点に「根岸飛行場跡」と記された記念碑がある。
名前 |
根岸飛行場跡 |
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ジャンル |
|
住所 |
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評価 |
3.5 |
根岸飛行場の存在は知っていましたが、その場所は正確に把握していなかったので、たまたま通りかかって、この場所に以前は存在したことを知りました。
せっかくなので周囲を見渡しましたが、この記念碑以外には、この地に飛行場が存在したことを匂わす物は平らな地形以外はありませんでした。
羽田空港が近いとはいえ、現在は横浜はもとより神奈川県には米軍と自衛隊が使用する軍用の厚木飛行場しか存在しません。
神奈川にも、またパラオやサイパンに定期便が飛ぶような商用空港が復活して欲しいものです。