小泉八雲は14年間を日本で過ごした。
3館共通券(松江城・小泉八雲記念館・武家屋敷)があったので割引料金で見学できました。
なんと落ち着くお庭。
こんな家に住めたらなあ。
小泉八雲氏が過ごした旧家です。
お庭がとても素晴らしいです。
歴史を感じ取れる史跡です。
小泉八雲さんが住まわれてたお家だったみたいです。
自分的には小泉八雲は外国人だったって事ぐらいしか知識としてなかったのですがお家を見る限り、凄く日本を愛してくださってたのかなと思いました。
出雲大社旅行で松江に立ち寄りました。
歴史ある町の観光名所です。
昔教科書で見た小泉八雲が実際に住んでいたものだそうです。
ぜひ隣の小泉八雲記念館と合わせて見学して下さい。
怪談話の作者としてしか知らなかった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の興味深い人生を知ることが出来てとても良かったです。
当時は珍しかったであろう「外国人」が、いかに日本を愛し、溶け込んでいたかが判ります。
小泉八雲が実際に使っていた机が残っている。
椅子の高さと机の高さのバランスが悪くどう使っていたのか疑問だったが、視力が悪かった(左目を失明)と聞いて納得した。
小泉八雲になった気持ちになれます。
レプリカのものもありますが基本的に当時のままです。
庭観たさに寄せてもらいました。
るるぶの写真以上に北西南と三面も造られた根岸小石氏に感謝致します‼️特に北面の松と石に考えさせられました⁉️
松江城から歩いてぐるっと回ってきました。
堀川めぐり乗船券を持っていると割引有りです。
お城とのセット券もあり。
記念館はわかりやすい展示です。
旧居はこじんまりとひっそりした雰囲気で落ち着きます。
作品を改めて読んでみたくなりました。
その人が住んでいた場所は、とても印象深いものです。
いろいろな資料よりも身近なものとして感じられるから。
庭がいいですよ。
小泉八雲が実際に住んでいたという事です。
松江城に来たついでに寄りました。
八雲さんが、とても愛した武家屋敷。
視力がすこぶる悪かったという八雲さん。
それでも日本の四季をこの武家屋敷の小さな庭で感じ、草花や虫などの小動物にも愛情を注いだ人柄に想いを馳せながら、見学しました。
写真撮影は自由ですが、広くはありません。
窓ガラスなど、昔の物はアジがあります😊
パトリック・ラフカディオ・ハーンが約5ヶ月間を過ごした松江の住居。
当時のままで保存されている唯一の建物です。
何とも情緒溢れるお庭でした。
座って眺めていると、まるでタイムスリップしている気分に。
GWの新緑の季節に訪れましたが、緑に萌える木々が風に揺れて素晴らしく美しかった。
また、受付の女性が何とも明るく親切な方で気持ちがよかったです。
お手洗いはないので、道はさんで向かいの公衆トイレをご利用ください。
日本のわびさびを感じられる庭園と日本家屋です。
ラフカディオ・ハーンが好んで住んでいたのがよく分かります。
日本家屋に椅子とテーブル、今となっては普通になったスタイルで、旧武家の邸宅で生活していたのがよくわかります。
2017年8月訪問。
昭和30年~40年代まではこういう古い家がまだたくさん残っていましたね。
八雲とセツの息遣いがそのまま漂っているような部屋に上がって見ることができ、嬉しく思いました。
小さな庭の美しいこと!清潔で静謐で暖かい夢のようなお住まいでした。
ここが素晴らしかったというだけで、松江に対して漠然と好印象を抱くほどです。
あーこんな別荘が欲しい。
小泉八雲は14年間を日本で過ごした。
そのうち松江にいたのは1年3カ月。
さらに、そのうち5カ月ほど滞在したのがこの“旧居”。
八雲が住んでいた当時のまま保存されている、とのこと。
元は武家屋敷で、建物を囲むように庭がある。
裏手には池もある。
確かにこういった家に住んでみたいと、思わせるものがある。
入場料は300円。
靴を脱いで入ります。
建物が美しいい写真を撮っていて楽しくなりました。
行き届いた手入れをみて、松江の土地柄に好感を持ちました。
八雲を偲ぶ気持ちが感じられます。
小泉八雲と言えば、怪談で有名ですが、家屋、庭とも、怪談とはほど遠く落ち着いた感じで、明治の香りがします。
このような家に住みたいものです。
松江城北側の〔塩見縄手〕の〔小泉八雲旧居〕にうずくまったような句碑がある。
高浜虚子の句碑で、 くわれもす八雲旧居の秋の蚊に 高さ40センチの碑。
名前 |
小泉八雲旧居 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0852-23-0714 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 8:30~18:30 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
二回目の訪問。
平屋で三方向が蕭洒な庭に囲まれている。
八雲はこの家に短期間住んだ。
日本が欧化政策に突き進んでいる頃、それに批判的な八雲は重苦しい思いに捕らわれていたに違いない。
八雲自身、イギリス、ギリシアの混血でありアメリカに住んでいた。
神戸へ日本についての報道をするために派遣された。
日本女性と結婚して自らの魂を休めたのだろうか。
私は重苦しい想いにふと捕らわれる。
この地で英語教師を勤めて日本についての活発な著作をしていく。