病気や疫病鎮めの玄蕃さまを祀っている神社です。
武田勝頼は天目山の戦いで死んだことになっているが、この地では別の伝承がある勝頼は武田氏の流れである香宗我部を頼って土佐に来た。
長宗我部元親は戦国の勢力争いのために落武者受け入れ政策をとっていたとも言われる勝頼は土佐で大崎玄蕃と名乗り活躍し、64才で亡くなり鳴玉神社に葬られたと伝わる大崎八幡宮は勝頼の建立した神社で、かつては川井神社、武田城八幡宮と呼ばれた。
ここには花菱家紋入りの手鏡が奉納されていて、高野山にある勝頼の肖像画にある紋と同じだとか天正14年6月15 日大崎八幡宮を建立した時に踊ったとされる「玄蕃おどり」が伝わっていて「玄蕃まつり」で踊られていたが、祭が衰退し、昭和52年に氏子で「大崎玄蕃踊り保存会」を結成今は「武田勝頼土佐の会」がお祭りを主催しているようです。
名前 |
大崎八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
病気や疫病鎮めの玄蕃さまを祀っている神社です。
コロナの収束を願います。
武田勝頼の伝説もロマンを掻き立て、仁淀ブルーも車で10分ほどすぐそこにありました。