伊予市に息づく鯨の碑。
湊神社の特徴
伊予市の郡中港沖で供養されたクジラの碑があります。
明治42年の歴史を持つクジラ供養の感動スポットです。
神社内にある石塚が心に響く静かな場所です。
「鯨」の碑があります。
また狛犬の代わりに7福神が鎮座しています。
鯨の碑文は次の通りです。
「まっこう鯨が泳ぐ なぜか郡中沖に住みついた。
明治42年早春である。
どこかに姿を消してほしいと漁民は願う。
捕鯨の経験を持たぬ湊町漁民の素朴な願いがあった。
大鯨は姿を消さぬ。
しびれをきらした湊町漁民はついに捕鯨に立ち上がる。
大網を使った捕鯨作戦も見事に失敗した。
網などで獲れる相手ではない。
協議の末浜代表は馬開捕鯨会社(下関市)に應援を求めた。
砲主は数々の道具をたつさえて湊町に来る。
捕鯨作戦は3月21日午前8時8艘に50人が乗り込むこととなる。
3月21日早朝ホラ貝の合図と共に出動する。
森沖に姿を見せる大鯨に砲主の目が光り若者50人の血はさわぐ。
朝日に映えて鯨体は黒光に輝く。
第一の砲声が郡中沖に鳴る。
弾は鯨をかする。
驚く鯨に追跡は續く。
松前沖で第二の砲声が鳴る。
命中と同時に鯨体が空中に舞う。
50人のモリが鯨に集中し激斗の海に血潮は渦巻く。
カン声は海陸呼応して四囲にひびいた。
二頭の牛と数百人の力で恵美須の浜に曳揚られ臨時の掛小屋がつくられて人々に見せた。
見物人が恵美須の浜に群れた。
明治43年3月鯨を供養して碑が建てられる。
克鯨一字一石塔。
湊町浜浦の長い歴史の中で鯨との出合いはこのときが最初でありまた最後でもあった。
(語り伝える鯨のはなし 今に残るよ記念の塔が 白い波 白い波 文字のあと)」当時のものかは判りませんが、陸に上げられた鯨の写真が奉納されています。
またその当時の様子を描いた絵も奉納されています。
明治42年の早春のこと、ここ伊予市の郡中港沖にクジラが住み着いたらしい。
困った漁民らが取った行動と、その一頭のクジラが巻きおこしたこと、それからのクジラの運命が碑に記されていて興味深い神社である。
ここにある碑はもとは別の地にあったそうだ。
名前 |
湊神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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昔、打ち上げられて死んでたクジラ🐳を供養したと言う石塚があります。
合掌🙌以前は目の前が砂浜でした。