名前 |
岩渕阿弥陀如来 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.5 |
平清盛は唐の国金山寺に金3000両を寄進し、その返礼として阿弥陀如来像三体を贈られたといいます。
ufeffその後平家が壇の浦に滅亡し、如来像三体は国内に分散されました。
一体は定義、一体は熊本、一体はこの岩渕に落ち着いたと古くから伝えられています。
ufeff長い間の空白時代を経て、松山領主、茂庭氏が知るところとなり、四代内室が建立寄進したのが、この本堂であるといわれています。
ufeff平成3年、門脇家(衛氏)では新たに、屋敷沿いの山上に如来堂を建立。
岩渕如来のご本体は、代々門脇家において安置保管されています。
ufeff戦前は他地方よりの参拝者も多かったのですが、今では鹿島台町内や松山方面からの参拝者が多くなっています。
ufeff(鹿島台町史より抜粋)ufeffufeffこの如来堂の事は鹿島台町史で改めて知ったのですが、以前からこの如来堂についてネット検索しても、何もヒットしませんでした。
ufeff実際に参拝してみたところ、鳥居から上は舗装されて立派な参道なんですが、鳥居から下の県道40号線までは、民家の庭先(敷地内)を通らないと行けません。
ufeff恐らくこちらが門脇家だと思われるのですが、民家の前を通って参拝するのは、ちょっと遠慮してしまいました。
どうしてこのような参道になってしまったのか、ホント不思議でしたが…。
ufeffまた鳥居に付いてる扁額も外されて下に置いてありましたが、これも何か理由があっての事なのでしょうか…?