その信仰が全国に拡まり、尚武の国薩摩においても、武...
名前 |
南方神社(諏訪神社) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.kagojinjacho.or.jp/shrine-search/area-airaisa/%E5%A7%B6%E8%89%AF%E5%B8%82/1239/ |
評価 |
4.0 |
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南方(諏訪)神社概要【御祭神】事代主大神(コトシロヌシノオオカミ)武御名方大神(タケミナカタノオオカミ)【御神徳】国つ神の頭領大国主大神の御子神、中世以降日本第一 の威烈のある神として信濃源氏等の武家の地方進出 と共に、その信仰が全国に拡まり、尚武の国薩摩においても、武の神として崇められ、同じ系統の神社が県内各地にまつられております。
又、会議も主宰され諸事を一言にて定める権限を もたれ、組合・印刷・印形・書店・百貨店・文房具店・ 眼鏡商等の商業守護・柔道の守護神にまします。
【 御由緒】享徳三年(一四五四年)第九代大守島津忠国公は、 其の弟季久に命じて帖佐領主平山武豊を討伐させ、 平山氏(平安城)をおとしいれた季久に帖佐を輿えた。
季久は新しく建昌城を築いて嫡子忠廉と共に居城とし、 其の信仰する鹿児島清水町諏訪神社の御分霊を建昌城の中腹胡摩崎鼻の上方平地に勧請した。
其の後寛保元年(一七四一年)十一月、現在の場所に移転申上げたとあるが伝説に御祭神は非常に気の荒い神で人が城山(建昌城)の前を乗馬の儘通ると心ず蹴落(落馬)されるので現在の場所に御移転申し上げ たと伝えられている。
【 例祭日】四月ニ十八日 七月ニ十八日 十一月ニ十八日。