観光地となった今日ですら険しいこの地。
2023年4月9日訪れ。
歴史的な建造物であるが、場所がややわかりずらい(蔵王堂の階段を下った先に位置)。
外部からガラスを通して建物中の襖絵等がみることができる。
金峯山寺から少し下ったこの地(元は実城寺という寺があった場所)は、南北朝時代、後醍醐天皇が吉野朝宮の皇居を置いた場所です。
1336年後醍醐天皇は、京都の花山院を密かに抜出し吉野の吉水院宗信に迎えられ吉水院に身を寄せられました。
その後1339年亡くなられるまでの3年間をここで過ごされました。
八角三重塔の南朝妙法殿が建っています。
延元元年、建武3年(1336年)、足利尊氏の京都占領によって建武政権が崩壊(建武の乱)し、幽閉されていた第96代・後醍醐天皇が京都を脱出して穴生を経由して吉野吉水院に入り、数日後に近くの金峯山寺の塔頭・実城寺を「金輪王寺」と改名して行宮と定めました。
これが吉野行宮(朝宮)と伝えられています。
訪:2020/11/04
名前 |
吉野朝宮跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
かつて、ここに南朝があったことに思いを馳せながら、この地の空気を吸いました。