熊野速玉大社、熊野那智大社)へ参詣の為に歩いた道で...
江戸時代には、船宿等が八軒並んでいたことから『八軒家浜』と呼ばれるようになり、京都伏見と大坂を結ぶ『三十石船』と呼ばれる過書船のターミナルになるなど、淀川舟運の要衝として栄えた。
熊野街道の出発点でウォーキングのコースにしています。
大阪市教育委員会の建てた、史跡顕彰碑。
昆布屋さんの店先にあります。
この昆布屋さんも、明治初頭に遡る歴史のあるお店のようです。
このあたりが大川川べりだったということは、今より川幅が広かったということです。
大川に架けられている橋の顕彰碑にも、その昔は川幅が広かったことに言及しているものがありました。
◽アクセス①Ⓜ️谷町線/天満橋駅/北②:徒歩5分②京阪本線 /天満橋駅/東⑭:徒歩5分◽八軒家浜船着場が登場する噺▪️「三十石」 「胴乱の幸助」◽「上方落語の舞台の地」巡り▪️「胴斬り」:常安橋▪️「胴とり」:土佐堀橋、越中橋▪️「次の御用日」:蛸の松、田簑橋▪️「米揚げ笊」:栴檀の木橋▪️「鷺取り」:玉江橋▪️「池田の猪買い」「牛ほめ」「菊江仏壇」:大江橋▪️「米揚げ笊」 「冬の遊び」「住吉駕籠」:堂島米市場跡碑▪️「雁風呂」「木津勘助」:淀屋の屋敷跡▪️「遊山船」「船弁慶」:難波橋▪️「雁風呂」:肥後橋▪️「天神橋」:天神橋▪️「熊野詣」:熊野街道起点の碑▪️「千両蜜柑」:天満青物市場碑▪️「三十石」「胴乱の幸助」:八軒家浜船着場◽八軒家船着場跡碑▪️船着場跡石碑は 「永田屋昆布本店」さんの店頭に建っています。
▪️江戸時代、「天神橋」と「天満橋」に挟まれた大川の南岸が八軒家と呼ばれました。
(八軒の船宿があったことに由来すると)▪️古くは、「四天王寺詣」や「熊野詣」の陸の起点として、江戸時代には京都と大阪を結んで淀川を行き来した三十石船の発着場として賑わいました。
▪️落語ファンなら耳にタコですが、大坂への下り船は半日、伏見への上り船は1日かかりました。
昆布屋さんの前に碑があります。
昔は京都から船に乗り、ここで船を降りて、遠く熊野の地を目指したと思われます。
名前 |
八軒家船着場跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
熊野街道は、渡辺津から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ参詣の為に歩いた道である。
熊野街道にしても高野街道にしても、参詣は命がけだったに違いない。