駐車場が少なくとも 2 カ所あります。
駐車場が少なくとも 2 カ所あります。
国指定の史跡だけあって、とてもよく整備されています。
城内を一周するのに。
だいたい 1 時間弱はかかると思います。
ビジターセンターも伺うのがいいと思います。
様子がよくわかります。
それと!春風亭昇太さんが、写真ですけれども迎えてくれます。
彼はとっても諏訪原城が好きだそうです。
金谷駅から徒歩30分。
旧東海道石畳の急坂を経て辿り着いた城趾は、見事な堀切が残る素晴らしいところでした。
案内板も多く立てられていて、迷うことなく歩くことができます。
城趾自体は、高低差はそれほど感じませんでした。
整備されていて案内板や解説板も豊富なのでパンフレットを見ながらだと分かりやすく回れました。
山城ですがこの城跡自体はそれほど起伏はありません。
駅から徒歩の場合は途中の石畳が500mほどの登山になります。
小規模だが新しいビジターセンターが整備され、諏訪原城での武田対徳川の布陣の様子がジオラマで見られる。
夏の盛りには冷房でひと休みしながら諏訪原城の歴史について学べる。
三百円のガチャに入っている引換券でグッズなどに交換できる。
何故そのまま買えないのか?は置いといて、子どもは喜びそう。
センター前に8台程度、センターから東に細い車道(東海道)を50mちょい行くと10台程度の第2駐車場あり。
センター脇に新しいトイレ。
施設裏側から木立や草原に埋もれるように城址が広がる。
掘割が深く、崖地もあり、山道めいた所もあるので途中の歩行は注意が必要だが、目をはなさなければ小さなお子さんでも歩けそう。
ベビーカーはつらいが、富士山と街並みの見える絶景ポイントへは行けるかと。
JR金谷駅からの徒歩往復は健脚向きだが石畳等の旧道を楽しみながらハイキングにも良い。
武田流築城術典型の丸馬出が見事な城址です。
武田随一の武将馬場信晴が縄張をしたと伝えられています‼️城内に諏訪大明神を祀ったことから、『諏訪原城』の名がついたとの事です。
城内を散策すると、攻めるに難しい地形が良く判ります。
⭐️武田家重臣、築城の名手、馬場美濃守信春の当初築城、「丸馬出」と「後ろ堅固」縄張の最高傑作✨⭐️1573年(天正元年)、武田勝頼が遠江攻略の拠点として牧之原台地に築城、駿河から遠江への要衝の地❗️なぜ諏訪か、武田勝頼の母が信濃諏訪氏の出、城内に諏訪大明神を勧請した事が城名の由来🤔1575年(天正3年)、長篠設楽原の合戦後、徳川家康が反転攻勢し攻略入城🐎城名を「牧野城」と改名、また本曲輪を扇の要に例え扇状に曲輪が広がる事から別称「扇城」とも、攻略後は元駿河国主/今川氏真や『家忠日記』で有名な深溝松平家/松平家忠などが城番として駐留、日記には堀や塀などの強化普請が行われたと記されています❗️その後、1581年/高天神城落城・1582年/甲斐武田家滅亡し城の存在意義薄れ、1590年/徳川家康関東移封に伴い廃城⚔️⭐️縄張u0026構造⭐️・本曲輪東側は大井川が眼下に流れ断崖絶壁『後ろ堅固』・西に広がる牧之原台地からの攻撃に備え扇状の構え、三日月堀と曲輪構造の複数の『丸馬出』⇒丸馬出の総数は「7つ」城内図で要確認、「大手外馬出」を忘れずにチェック、県道の西側に‼️・武田氏築城時の丸馬出縄張を徳川氏攻略後に補強拡張大改修したと現在認識、最大の三日月堀は現状で長さ100m、幅20m、深さ9mと大規模😅・二の曲輪の南東側…東内馬出と東馬出と南馬出の三点の構造の妙は必見👀・二の曲輪の北馬出…「北馬出の門」は発掘調査で確認された門礎石から復元、元は徳川時代建造の薬医門形式、ここからの北東側の景観良好😁★最近、何か変な鉄骨の構造物が北馬出周辺に設置された、下地はコンクリート、本当に必要だろうか、有りのままが一番、変な飾り気は必要ない何て事⁉️
戦国・安土桃山時代の城跡の遺構。
年々整備され、散策や観光で人が訪れ易くなっている。
日坂~金谷までは、東海道石畳の散策ルートが良く知られているので、シニア層をはじめとしたウォーキング愛好家の方々が、通り掛かりに立ち寄るケースもあるようです。
4月には、一面緑の絨毯の広がる絶景が拝めます。
戦国の歴史好きな方は、往時に思いを馳せるのも良いと思います。
本曲輪の辺りのコナラの木は、樹液が出ているものもあり、スズメバチがいました(訪問は 2022-04-09(土))。
遺構を夜間に歩くのはオススメしませんが、夏場であればカブトムシやクワガタが採れるかも。
と思いました。
他の方のレビューにもありますが、景色はとても良いです。
大井川の流れを挟み、島田市から焼津に至る、志太地区全域を一望できます。
幾つかの山城を興味深く回ってきたが、この大手門のビジターセンタ-を抜けると南外堀を左手に二ノ曲輪大手馬出が深い空堀をはさみ諏訪神社を祀リ、ニノ南曲輪馬出を起点にニノ北曲輪迄三日月状に深い斜度のあるv状外堀を300m以上、これが山中城の如く整備され表現されていたなら、見応えは壮観であったと思う。
また、本曲輪から見る景観、ニノ曲輪北馬出門復元にしても、この山城が持つ性格と武田流築城術、背後堅固の城を倍化しただろう。
贅沢ですかね。
山城とはいっても大きな起伏も無く歩きやすかったです。
ゆっくり巡っても30分ほどのほどよい散歩コースでした。
本曲輪からは富士山が眺望できました。
続日本100名城のスタンプはビジターセンターと城内にあるポストの2ヶ所に設置してます。
ビジターセンターが開いていなくてもポストで24時間捺すことができます。
戦国時代、武田軍が徳川の高天神城攻めの際、前線基地に使った山城跡で建物などはないものの、深い堀と広い曲輪が残っています。
堀を歩くルートもあります。
以前は眺望をさえぎっていた西側が整備され、富士山や大井川、志太平野を一望できるようになりました。
2022年初に整備工事も進んだら、山城ファンなら訪れたくなる城跡になると思います。
ビジターセンターに車6台分の駐車場もあります。
牧之原台地 旧東海道沿いある山城跡です 空堀と丸馬出が見事に残り保存されてます丸馬出は武田流の築城術の特徴との事です最近は木も伐採され よく見渡せるようになってます本曲輪側も 天候が良ければ富士山が見えますビジターセンターもあり 一通り予備学習してから回りますとなお理解が深まるかと思います寒い時期の方が虫もいないし景色が良い確率が高いかと存じますぜひ。
2021年10月の平日に訪問。
武田が遠江を侵攻するための臨時の城というイメージでしたが、行ってみると想像以上に大きくて立派な城跡で驚きました。
跡地が良く保存され、見学コースも整備しすぎない程度に整えられています(=一部にやや歩きにくいところや要注意箇所もある)。
特に日本最大級という丸馬出のスケール感は印象に残りました。
武田氏の遠江侵攻における拠点。
武田流築城術が色濃く残る城。
丸馬出と堀がスゴイ。
車で行く時は、近くのビジターセンターの駐車場に停める必要があります。
武田の城ですね。
名前 |
諏訪原城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.shimada.shizuoka.jp/institution/list/suwaharavisitor/ |
評価 |
4.3 |
20年くらい前に訪れた時は、ただのお茶畑だったが今は綺麗に整備され、運が良ければおじさんが簡単な説明もしてくらます。
山城好きな方にはおすすめです。
但し案内の派手さはないので気を付けて。