そしてその京都は今も日本の都です。
丹波橋の駅から丹波橋通りを東へ進むと10分位で参道へ、この参道を5分位登り切ると森に囲まれて静かで広大な御陵に一歩進んだだけで平和を感じます。
来る途中の参道も乃木神社の鳥居辺りまで、ウォーキングやジョギング中の沢山の方々に出会いました。
ただこの御陵は明治13年に治定され今がある訳ですが、桓武天皇が806年に崩御され現在も不明な広大な陵墓に祀られたらしいですが、1274年大規模な盗掘、鎌倉期から室町期の動乱、伏見城の築城でますます不明となり、江戸期には旧谷口村の谷口古墳が比定され、明治にやっとこの場所に。
綺麗に整備されています。
南都(奈良)の寺社勢力の影響避け、新しい治世を目指して新都の造営をされた天皇、そしてその京都は今も日本の都です。
最澄、空海などによる仏教界の再構築もありましたが、その場は殆ど洛外に置かれました。
桓武天皇の側近に和気清麻呂と言う方が居られ、そのお姉さんの広虫と言う方に私は好感を持っています。
公共福祉の元祖的な活動家だったと聞きます。
長い年月を過ぎ江戸は東京になりました。
そして現在の皇居は江戸城の跡なので堀や城壁がありますが、京都の御所には堀も石垣もありません。
外国の王の多くは堅固な城を構え住みましたが、日本の天皇は城塞を構えませんでした。
何故なのか???赤坂御所が出来た時も明治天皇は御入居を拒まれました。
私は、特に尊皇主義者ではありませんが、其の事の重要性をおもいます。
桓武天皇柏原陵の南東約500mに明治天皇の御陵があります。
自らの御遺言により京都に埋葬されてます。
第50代桓武天皇柏原陵平城京から長岡京→平安京へと遷都した天皇。
静かで良い場所ですね。
綺麗に整備されていてる人工的な雰囲気と、周りの森との整合性がもはや自然と成り立っているからでしょうか、この雰囲気は。
子供の頃から 幾度となく訪れているが、いつ来ても 静寂に包まれている。
1200有余年の時を語る時は、必ず登場する人物ですね。
明治天皇陵の北西にある円丘です。
陵域外には堀がコの字に巡らされており、陵内は木々が鬱蒼としています。
伏見桃山陵の参道から桓武天皇の参道が分岐しておりそこから歩いて行くこともできます。
名前 |
桓武天皇 柏原陵 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
第50代天皇、桓武天皇陵。
丹波橋の駅から徒歩10~15分くらいで行ける。
静かでおちついた場所で伏見桃山城もすぐそばにあります。