歴史を感じる宝篋印塔、訪れてみて!
卜全塚の特徴
五輪塔と宝篋印塔の特徴を持つ供養塔が印象的です。
戦国時代の武将、氏家直元ゆかりの墓所です。
線路脇の田んぼ道に静かに佇む歴史的なスポットです。
氏家 直元(うじいえ なおもと)は、戦国時代の武将。
氏家氏12代当主。
西美濃三人衆の一人。
出家後に名乗った「卜全」(ぼくぜん)の号で知られている。
最盛期には美濃国の三分の一を領し、三人衆の中では最大の勢力を有していたとされる。
織田信長の長島攻め平定の際に、命を受け伊勢国桑名郡の多度大社の本宮並びに摂末社、神宝、古記録、多度大社の神宮寺であった宝雲寺(真言宗)の七十余りに及ぶである堂、塔、伽藍を全て焼き尽した。
その後、柴田勝家に従軍し、織田軍が撤退する際に殿軍を務めたが、5月12日に美濃石津で本願寺勢力と共に織田軍に抵抗していた六角一族の佐々木祐成に討ち取られた。
享年38とされるが、『美濃国諸旧記』には59歳で死去したと書かれている。
美濃三人衆氏家卜全のお墓。
通りから線路を渡って行き止まりの道の途中にある。
伊勢長島の戦いで亡くなったことは知っていたが長島から北に位置するこんなところだとは知らなかった。
柴田勝家のお供で長島攻略中、一向宗の反撃に遭い、撤退。
殿を務め、この地で戦死したと云う。
五輪塔と宝篋印塔を足して二で割ったような形の供養塔が線路脇の田んぼ道に道祖神のごとくポツンと建っています。
「この先行き止まり」の標識の先にあるせいかどことなく寂しげでした。
名前 |
卜全塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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ズビズバ〜、やめてけれ♪の人とは一切関係ないけどどうしても思い出す。