名前 |
布施殿台城 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
まず初めに【超重要】一般のご家庭の敷地なので勝手に入らないでください。
城址内で生活されており勝手な侵入が増えていてとても迷惑しているそうです。
登り口付近では別の方が酪農を営まれています。
一般人の牛舎などへの侵入は牛の病気を招きます。
絶対に避けてください。
こうしたモラルを守れない方が増えればいずれ誰も近寄れなくなるでしょう。
<本文>千葉県いすみ市下布施にある上総広常の城と地元では口伝されている布施台と呼ばれた舌状台地とその後背の山を要害したとした中世遺構です。
布施台は前布施台と奥布施台に分かれ、奥布施台の方が目視で3-4mくらい高いように見えました。
遠目に見て台地基部は切岸にみえますが近寄ってみるとこの地域でよく見受ける地層が出ていて天然の地形である可能性が高いです(写真は牛が写っているのであげられない)。
布施台北西に非常に高い土塁と折れた深い堀が残っているとされていますが、藪が成長しすぎて全く目視確認することはできませんでした。
山の要害部にも若干の石垣が見受けられ西の端は切岸と横堀もあるようですが、現在は激藪化して地元の方も近寄れないそうです(イノシシブヒブヒランド)。
パッと見た感じでは鎌倉時代の城郭遺構にしてはデカすぎる(というか鎌倉時代の城って見たことある?)。
そして過去に見分された方のレポートを見るに戦国期にだいぶ改修されている感がある。
周辺に根小屋や堀ノ内などの地名が残っており中世城郭関係の遺構であることは間違いないのだけれどなんだかモヤッとした感じがする史跡でした。
ここが上総広常の城だというのは房総志料か房総叢書にそうした記載があって、江戸時代に江戸から来た役人が「ここは上総介の城」って言ったことが元ネタみたいです。
多くの人はそれは役人の誤りだと書く人がいますが現在は消失したけれど江戸時代までは現存していた史料もあったかもしれませんし、そうした意味でも江戸時代の人が「上総介の城」というんですから上総広常のお城でいいんじゃないでしょうか?