勢力圏である関東へ逃れるべく東へ向かった。
大正4年(1915年)3月に架けられた石橋で、養老町指定文化財。
平安時代末期の武将・源義朝にゆかりのある史跡。
源氏の家紋・笹竜胆の彫刻が非常に美しい。
平治元年(1159年)、源義朝は京都で平清盛に敗れると、勢力圏である関東へ逃れるべく東へ向かった。
途中で息子達とも散り散りになりながらも、何とか美濃国の青墓(現・大垣市)にまで辿り着く。
青墓では、源氏と姻戚関係を持つ大炊兼遠に匿われることになる。
しかしさらに東へ逃れるために、乳兄弟の鎌田政清の舅である長田忠致を頼って川を下ろうとした。
そこで義朝主従が柴舟に乗ったのが、この源氏橋のたもととされる。
現在では人が乗る船など浮かべることも出来ないような小川に、石造りの橋は架けられている。
そして源氏の名にふさわしく、その家紋である笹竜胆が橋に彫られている。
名前 |
源氏橋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0584-32-1108 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
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養老駅に向かう途中、突然目の前に趣ある橋が現れました。
平治の乱に謂れのある橋とのこと。
鎌倉殿のお父上、源義朝がこの橋から船で尾張に逃れたそうな。