鎌倉駅東口駅前からの参道の先にある神社。
台風8号が神奈川県に向かって接近している途中でしたが、一時的に雨風が止んだタイミングを見計らって石畳の階段を登り、本宮から鎌倉市街を眺めてみました。
改めて鎌倉市街を眺めてみると、本宮はとても見晴らしの良い場所に建っており、晴れた日には相模湾まで見渡せるのではないかと思いました。
4月30日連休2日目の晴れた土曜日四年ぶりに鶴岡八幡宮に来ました3年ぶりに行動制限のない連休駅から小町通り、境内まで、すごい人出でした。
鎌倉駅東口駅前からの参道の先にある神社。
境内は広く厳か。
勝負事のお守りなどありました!
とても美しい本宮。
コロナ禍らしくマスクをつけた狛犬も。
宮内は撮影禁止のため、是非お詣りして観ていただきたい。
病気した時 親父がお守り買って来てくれました 嬉しかったな 勇気出ました無事生還できました知り合いに何かあった時はお守り頂くようにしてます!バイクは無料駐輪場あり!
関東に住んでいる人間なら、一度は行く価値があります。
参拝したら絶対に行くべきです。
上宮が博物館になっています。
当神社に奉納された源家ゆかりの品々の本物現物を見ることができます(一部レプリカあり)。
さすがに神社で保管されてこられただけあり保存状態は抜群です。
拝殿の中央の社もまじかに観察する事ができます(通り過ぎる人が多いでしょうが)。
鶴岡八幡宮は、1063年に源頼義が京都の石清水八幡宮を由比ガ浜辺に勧請してお祀りしたのが始まり。
源頼朝公により現在地に遷され、1191年には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整えられた。
以降、国家鎮護の神として全国から篤い信仰を受ける。
現在の御本殿は、代表的な江戸建築で、国の重要文化財にも指定。
また、境内には鎌倉市内の国宝・重要文化財を集めた「鎌倉国宝館」もある。
拝殿の門をくぐった中も朱色で荘厳な素敵な色合いでした。
拝殿の中で上宮辺りは一部有料な場所ですが建物の建築技術と職人技を垣間見れて鎌倉時代の歴史が好きな方には良いかもしれません。
1180年、源頼朝がそれまでの由比若宮を現在の場所に移して鶴岡八幡宮新宮若宮としたのが、鶴岡八幡宮の始まりです。
その後、1191年3月の大火で鶴岡八幡宮の若宮は消失してしまいますが、源頼朝がすぐに再建に着手しました。
この時に、若宮と共に現在のような本宮(上宮)も造営されました。
しかしその後も1280年、1296年、1315年、1821年にも火災で被害を受け、その度に再建されてきました。
火災からの再建以外にも修造や建て替えが行われ、特に江戸幕府の初代将軍徳川家康、第二代将軍徳川秀忠による建て替え事業は、江戸幕府の威信をかけた大規模なものでした。
本宮が現在の姿になったのは、1821年(文政四年)の火災で焼失した後、1828年(文政十一年)に、江戸幕府第十一代将軍徳川家斉によって再建された時です。
1923年の関東大震災で倒壊してしまいましたが修造され、今に至っています。
本殿、幣殿、拝殿、そして廻廊が、意匠的・技術的に優れているということで、国の重要文化財に指定されています。
6.鶴岡八幡宮アクセス:JR横須賀線 北鎌倉駅 (徒歩約15分)鎌倉駅東口より徒歩10分JR横須賀線 北鎌倉駅 (徒歩約15分)祭神:祭神は以下の3柱。
「八幡神」と総称される。
・応神天皇 第15代天皇・比売神・神功皇后 第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母御朱印:①舞殿右手の授与所「鶴岡八幡宮」②旗上弁財天社授与所 「旗上弁財天社」概史:・鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)に、源頼朝の先祖源頼義が「源氏の氏神」である京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡に勧請したが、その始まり(由比若宮 (鶴岡若宮) )。
・1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵を果たして鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮 新宮若宮」とし、武家の都市づくりの中心に据えた。
・1191年(建久2年)、火災によって焼失するが、頼朝は、若宮を再建するとともに、大臣山の中腹に上宮(本宮)を新造し、今日の姿(上下両宮)となる。
・鎌倉幕府滅亡後も「武門の神」として足利氏、後北条氏、豊臣氏、徳川氏に崇敬された。
・かつて、鶴岡八幡宮は神仏混淆の寺院でしたので、仁王門がありました。
明治時代に入り、鶴岡八幡宮においてもいわゆる廃仏毀釈の動きが始まった。
明治3年(1870年)に多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されるか散佚した。
ただし一部は現存し、鎌倉寿福寺、浅草の社僧が中心となって行った。
・大正12年(1923年)9月1日、関東大震災で、多くの建造物が崩壊・消失している。
・現在の本宮(上宮)は、1818年(文政11年)江戸幕府十一将軍徳川家斉によって再建した流権現造で、国の重要文化財に指定されている。
・現在の若宮(下宮)は、1626年(寛永3年)江戸幕府二代将軍徳川秀忠によって修築造営された建物。
その時、ここには、1315年(正和四年)の火災の翌年に再建された若宮が残っていました。
新しい若宮を造立するにあたって、先代の若宮は、鎌倉市内にある荏柄天神社に移築され、現在でも本殿として、ご祭神、菅原道真を祀っています。
この荏柄天神社本殿は、鎌倉に現存する唯一の鎌倉時代の建築で、重要文化財に指定されています。
=その他境内にあるもの=舞殿(下拝殿)前面にある建築物は21世紀に入ってから増築されたもので、当初は朱塗りではなく白木造りであった。
1186年(文治二年)には、鎌倉に連れてこられた源義経の愛妾、静が、源頼朝・北条政子夫妻の求めに応えて、現在の舞殿がある場所で舞を披露したという有名な話が残っています。
その場所は当時、若宮の廻廊でした。
源平池:左右2つに分かれた池がある。
源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産(三)と死(四)を表すという。
太鼓橋源氏池と平家池を繋ぐ水路に石造の橋が架けられている。
現行の石橋は二代目で、昭和2年(1927年)に再建された。
旗上弁天社源氏池の島に鎮座。
周囲には源氏の二引きの白旗が多く見られる。
明治の神仏分離令で一度は廃れたが、昭和55年(1980年)に文政年間の古図を元とし復元された。
白旗神社祭神:源頼朝、源実朝 逸話として、豊臣秀吉が小田原征伐の後に参拝したが、その際に祀られていた頼朝像を見て「我と御身は共に微小の身から天下を平らげた。
しかし御身は天皇の後胤であり、父祖は関東を従えていた。
故に流人の身から挙兵しても多く者が従った。
我は氏も系図も無いが天下を取った。
御身より我の勝ちなり。
しかし御身と我は天下友達なり。
」と言うと、笑いながら頼朝像の背中をポンポンと叩いたという。
丸山稲荷社本殿は重要文化財に指定。
名前 |
本宮(上宮) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0467-22-0315 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
先週の灯籠祭がとてもきれいでした。
有名人の作品や、知らない方の作品も上手なものばかりで楽しめました。