2019/01/13 訪問。
有名な童謡「あの子はだあれ」発祥の地です。
藪塚温泉の入口付近のなつめの里、なつめの木の下に歌碑が建立されています👍
2019/01/13 訪問。
里としてはインパクトが弱かったでしたね。
薮塚温泉郷の入り口。
丘の上の公園に小さな歌碑がある。
カラフルなモザイクで描かれた子供の愛らしいイラスト。
「なつめの里」の由来は童謡作詞家の細川雄太郎の「あのこはたあれ」とのこと。
公園には歌詞に登場するなつめの木が植えられている。
毎年10月初めに開催される「やぶ塚かかし祭り」の頃に、なつめの実が赤く実り、歌碑を包む込みように鮮やかに彩る様子はえもいわれず美しい。
歌の書かれた当時は昭和14年。
丁稚に来た子供にとっては、赤い宝石のように輝くなつめは貴重なおやつだったのだろう。
薮塚町界隈の田園風景は戦前と大きく変わっていないというが、なつめの実は誰に食べられることもなく、鳥だけがついばんでいた。
細川雄太郎が丁稚に来ていたのは、滋賀県の近江商人ゆかりの「岡崎醤油」とのこと。
滋賀県のつながりで薮塚町へ来たのだろう。
岡崎醤油の由来を調べると宝暦元年(1751年)に薮塚本町(現群馬県太田市大原町)に設立され、大正12年(1923年)に高崎市新町へ工場を移転したという。
2018年も「うましる」という看板商品で健在だ。
「細川雄太郎(ほそかわ ゆうたろう、1914年(大正3年)11月27日 - 1999年(平成11年)2月21日)は、滋賀県蒲生郡日野町出身の童謡作詞家。
小学校高等科を卒業して、16歳で群馬県新田郡薮塚本町(現・太田市)にある醤油・味噌醸造の会社に奉公にでる。
1939年(昭和14年)、24歳のとき、故郷の想い出に浸りつつ書いた『泣く子はだあれ』を『童謡と唱歌』に投稿したところ、作曲家海沼實の目に留まり、「あの子はたあれ」としてレコード化され、ヒットする。
味噌・醤油の醸造会社奉職中に「あの子はたあれ」を書いたとされる群馬県新田郡藪塚本町(現太田市薮塚本町)のなつめ公園内に歌碑。
『なつめ公園』の名前は「あの子はたあれ」から採って命名された。
(wikipediaより転載)」
名前 |
なつめの里 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
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東屋とベンチがあり、薮塚温泉入口でもある。
周囲の散策の休憩にどうぞ。