神社の鳥居さん脇に巨大だった神代杉の残骸を立木の様...
鳥頭神社大穴牟遅神ここはオススメします。
駐車場も数台止めれます。
神代杉(昔有った大杉のカケラ)が目印。
駐車場は脇の道を入り数台分有る。
力石も有るが、重すぎて腰をやるので持ち上げはやめたほうが。
神代杉のある所の神社でした。
矢倉鳥頭神社(やくらとっとうじんじゃ)物凄い大きな大きな古い杉がある…と祖父母や母より幼い頃から話だけは聞いておりました。
何と樹齢1400年!?と伝わる神代杉が目印の神社です。
境内には左側(西)に神楽殿、中央(最北)に大きな拝殿・本殿覆い屋が建立されています。
また、力石や神武天皇遥拝所、末社などが点在しております。
※賽銭箱は御座いません。
お賽銭は「本殿内部に投げ入れて下さい」との案内が御座います。
【御祭神】大穴牟遅神、宇迦之御魂神、倭健命、建御名方命【祭礼日】春季大祭・4月吉日、秋季大祭・11月吉日、茅の輪祭・7月吉日【由緒】創建年月不詳。
(伝承)吾妻七社の一社で建久年中(1190)の建立と伝えられているそうです。
元享年間(1321)岩櫃城主吾妻太郎行盛が社殿を改修。
戦国末期、岩櫃城主斉藤氏の庇護を受け、永禄6年(1578)10月の斉藤氏滅亡後、同9年海野幸光同輝幸が信玄の吾妻領の郡代となる。
天正6年(1578)海野長門の守幸光が武田勝頼に忠誠を顕す為、鰐口を奉納したが、その後盗難により紛失。
天正10年(1582)真田昌幸より八貫七百文の寄進を受け、社殿を修復。
同18年8月真田信幸沼田入部に際し三貫五百文の寄進を受ける。
沼田真氏改易の後、貞享4年(1683)検地には境内一反五畝余、森一反。
元禄7年(1694)11月京都卜部兼連より正一位鳥頭大明神の宣旨を賜る。
宝暦週11年(1761)本社建替着工、明和元年(1764)9月完成。
宝暦13年(1763)まで正一位正一位鳥頭大明神と称する。
明治10年7月相殿二座を合祀、同40年8月境内末社等を合祀。
【神代杉】樹齢1400年。
日本武尊の東征の凱旋の際手植えした杉と言われるそうです。
氏子さん等により代々修復を重ね、現在にその姿を伝えています。
天明三年の浅間山大噴火の時に焼け、その中から杉が生え、現在は親子杉とも呼ばれるそうです。
神社の鳥居さん脇に巨大だった神代杉の残骸を立木の様に加工して保存しています。
神代杉で有名な神社です!本殿左奥には神武天皇揺拝所と言い伝えられている場所があリます。
必見です。
車窓から眺め珍しい杉の木に誘われて参拝しましたが、とても由緒ある神社で中でも神代杉はニ度の災難にあい地元の氏子達が代々修復を重ねて、今にその姿を伝えている。
吾妻七社明神の一社です。
樹齢1400年の神代杉はとても立派です。
境内には神楽殿と本殿の間に神武天皇の遥拝所があります。
駐車場はあります。
名前 |
矢倉鳥頭神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0279-67-2441 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
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神代杉、杉の大木、鳥居、本殿、全部圧倒されます。
御見事。