淀川の北側からの写真です。
◽アクセス①阪急 「十三駅」 西口︰徒歩8分②御堂筋線 「中津駅」 ①︰徒歩22分③新大阪駅北口/野田阪神行バス「十三下車」︰徒歩5分◽上方落語紀行 〜十三の渡し〜. 「池田の猪買い」. ①井池筋 ②淀屋橋. ③大江橋 ④蜆橋. ⑤お初天神 ⑥十三の渡し. ⑦三国の渡し ⑧服部天神宮. ⑨岡町 ⑩池田◽十三の渡し▪新淀川 (現淀川) が開削される以前は、. 「中津川」 が流れていました。
▪中津川は、右岸の成小路村字十三と. 左岸の堀村を結んでいました。
▪中津川の南北をつないでいた渡し舟. が 「十三の渡し」と呼ばれていました。
. 十三は、中津川北岸の船着き場周辺を. 指す地名でした。
◽十三の渡しの終焉▪1878(M11)年、中津川に十三橋(木橋). が架設されたことにより、北岸にあっ. た十三の渡しは消滅します。
▪1909(M42)年には、淀川大改修で南岸. の乗り場も無くなります。
▪1932(S7)年、現在の十三大橋が完成し. ました。
◽中世(室町期)以前▪1361(康安元)年、この付近に橋が架か. っていたとのことです(太平記)。
▪1570(元亀元)年、十三の渡しを信長軍. が勝ち渡ったとされています。
. (信長公記・細川両家記)
淀川の北側からの写真です。
橋が架かる明治初めまでは渡し船だったそうです。
今は橋の横に阪急電車が走っています。
趣きのある鉄橋です。
河川工事をしていますが震災時に利用できる船着き場を作るそうです。
百年以上経ってから再び舟が着くのは感慨深いですよね😃
中国街道を通る人たちが淀川を渡るための渡し場として、このあたりに十三渡しがあり、渡し舟を待つ人で賑わっていましたが、明治11年(1848)に木橋が架かったことで渡し船は御役御免。
さらに明治42年(1909)の淀川大改修で川の南側の乗り場は川底へとなくなったとのこと。
ちなみに『十三』という地名の由来は諸説あるが、一説としては【京から数えて13番目の渡しがあった】ためと言われています。
名前 |
十三の渡し跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
石碑と解説看板が建つのみ。
十三側の河川敷の土手の上。