源義経終焉の地が平泉であったせいか?
源義経終焉の地が平泉であったせいか?、別行動であった静御前に纏わる伝承の地が東北方面には多い。
史実か否かは不明。
以下Wikipediaより鈴ヶ神社 (岩手県宮古市鈴久名)静御前墓 (当地・新潟県長岡市栃尾地域(栃堀)美女池・静御前堂 (福島県郡山市)御前井戸 (福島県伊達市月舘町下手渡)静御前通り (〃 〃)亀井の水(宇都宮市下河原町)鏡ヶ池 (宇都宮二荒山神社の下之宮西側)御前桜・静さくら (宇都宮市野沢町)思案橋 (茨城県古河市下辺見)現・光了寺 (茨城県古河市)〔埼玉県久喜市栗橋にあった元・高柳寺〕静村 (かつて埼玉県北葛飾郡にあった村。
現在の久喜市北部あたり)静女の墳 (埼玉県久喜市栗橋)静御前墓と義経招魂碑 (栗橋駅 東口)静御前墓と磯禅尼供養碑 (長野県大町市美麻大塩・薬師寺)
看板を見つけて行ってみました。
周囲には何もなく静かな場所。
おそらく観光客もほとんど来ないのでは?お参りしてしばしのんびり。
お墓というか石碑というか、写真を撮るのへ失礼な気がして撮りませんでした。
過去に想いを馳せるのが好きな人にはオススメです。
長岡市栃尾地区を徘徊していて『静御前の墓→』の看板を見付けて行ってみました✋ 『静御前』って…うっすら聞いた記憶があるなぁと思ったけど、私のその記憶は洗濯機の名前でした😅💦💦本当の?静御前は白泊子と言う、歌や舞を職業としていた方らしく…源義経に見初められたものの、義経が兄の頼朝に追われて東北・平泉に落ちたのを静御前は追ったそうです。
しかし頼朝に捕まり、その時に義経を想う気持ちを舞で表し、釈放された後、再び義経を追って平泉に向かう途中にこの『栃堀』の地で長旅の疲れから亡くなってしまったそうです😢従者と里の人達がこの栃堀の地に埋葬したとか😢😢 そして、その静御前のお墓の近くに供養塔があったのですが…静御前のお墓が古くなり、それを建て直したい❗と思う栃堀の対岸の小向村のセイさんとゆう16歳の女の子がいて、セイさんは織物でお金を稼いでお墓を建て直そうと一心不乱に働いたのですが…18歳の若さで亡くなってしまったそうです😢😢😢そのセイさんの志をお父さんが受け継ぎ供養塔を完全させたそうです✨✨…セイさんはきっと静御前の義経を想う一途な気持ちに感動したのでしょうね…16歳位の女の子なら『私もそんな風に1人の男性を想い貫いてみたいな✨✨』と憧れたのでしょうね…何だかそんな2人の純粋な心に、おばちゃんの薄汚れた心は洗われたような気持ちになりました😌…ほんの一時ですけど😅そこには『那須与一の城跡』とゆう看板もありました✋ どこが城跡か?分からないような草むらでしたけど😅😅…那須与一は静御前のお墓を守っていたらしいです……与一も実は静御前に恋心を抱いていたんでしょうかね~😌何か…そのうち大河ドラマになっても良いようなお話だわ~😆✨✨→すみません❗『白泊子』ではなく『白拍子』でした😅 拍の字が間違ってました😅😅
県道347号線の東谷小学校の西側から山へ向かう道路の袂に「静御前の墓」の看板が有ります。
数台が置ける駐車スペースが有るので、そこから歩いて20mほど。
中央に苔むしたお墓が有り、その横には明治末期に「福王子セイ」さんという当時16歳の少女が、静御前の墓が傷んでいくのを悲しんで自らお墓を立て直そうとして病気で無くなり果たせず、その父親が意志を継いで建てたという供養塔が有ります。
名前 |
静御前の墓(源義経公の愛妾白拍子終焉地) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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栃尾の道の駅で油揚げを食べてからお参りに行きました。
道も狭くちょっとわかりにくいです。