ここの拝所両脇の柱龍の彫刻。
日向国惣社 三宅神社 / / / .
ニニギノミコトをまつる神社。
龍の彫刻の飾りが趣きあり。
妻神社に、奥様のコノハナサクヤヒメがまつられている。
丘の上に佇むので上の宮と言われているそうだ。
三宅とは古代屯倉が置かれていたことに因むと伝えられています。
三宅神社が位置するのは昭和27年に国の特別史跡に指定された西都原古墳群のある西都原台地の南端です。
又日向国造の始祖、豊国別王のような大首長が日向の統治者として君臨したところもおそらくこの三宅地域と考えられています。
三宅神社は、旧称を覆野(オオノウ)大神宮、福(覆)野八幡宮、覆神社と称し、建久8年(1197)の「建久図田帳」には「福野宮神田二五町」と記され、それ以前の創建とみられる古社と考えられます。
御祭神について「宮崎県史蹟調査報告書」によると、瓊瓊杵命を正殿中央に、天児屋根命・天太玉命を左右に配祀し、相殿には大物主命、石凝姥命、木花開耶姫命、神日本磐余彦命を祀り、更に降臨に供奉した64神をこれに配した。
摂社には大山祇命、事勝国勝長狭神、火闌降命等の七神、末社には倉稲魂命、合社には保食神、門社には豊磐間戸命、櫛磐間戸命を祀る。
合計すると84神になります。
更に明治五年、三宅村字山路の川上神社、五穀社、天満社、字上ノ宮の五穀社、霧島社、字酒元の筑波山篠貫社、字石貫の今宮社、字山王の山野社等の39神を合祀したと記されています。
最盛期には社職も大宮司、権大宮司、主税儀大宮司、器大宮司などがあったといわれ、年間の祭典も97回に及んだそうです。
応永元年(1394)から行われている天孫降臨祭(6月夏至)・国家安穏祭(8月5日)・山陵祭(10月1日と11月初卯の日)の当社三大祭りは、京都賀茂の祭式にも比すべき荘厳なものであったと言われており古社の趣が偲ばれます。
江戸時代後期に西都農神社と改称し、明治4年三宅の地名をとり現社名に改められました。
名前 |
日向国惣社 三宅神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
ここの拝所両脇の柱龍の彫刻。
迫力抜群です❗️( ´_ゝ`) 歴史ん感じます。