太閤堤 槇島堤址の特徴
名前 |
太閤堤 槇島堤址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
京都市立向島小学校の敷地北側、府道241号線向島宇治線沿いに案内板が立っています。
以下、案内板の記述を転載します。
槇島堤とは、現在の観月橋観(豊後橋) を起点とし、宇治橋手前まで繋がる宇治川の堤防である。
槇島堤は東の宇治橋近くから薗場堤を経由して小倉堤とも繋がっており、填島堤[原文ママ]と薗場堤が繋がる付近にはかつて槇島城があった。
豊臣秀吉は文禄三年(一五九四年)九月、前田利家らに豊後橋から宇治橋まで宇治川の流れを変える築堤を命じた。
駒井重勝が生きた時代の貴重な記録である「駒井日記」には、翌年四月五日に早くも堤に桜三千百八十本の桜並木の存在が記されていることから、一年足らずで築堤が完成したことになる。
同年には宇治川の氾濫により多くの桜が流されたとされる。
記録には秀吉が完成を急がせたため、利家自身もモッコを担いで工事に加わり指揮を取ったため、秀吉は利家を労いて見舞ったとも伝わっている。
当時の伏見城からの眺めは、春ともなれば宇治川の槇島堤に咲く美しい桜、その奥に向島城が聳える景観は壮観で在っただろう。
近年まで向島小学校北側の堤横には老木の桜が所々残っていたが、今は現存しない。
京都市。