小野小町双紙洗水遺跡 / / .
一条通堀川東入二筋目西北角にあるのが「小野小町双紙洗水遺跡」の石碑があります。
かなり背の低い石碑で正面には小町通と書かれており側面に小野小町双紙洗水遺跡の文字が刻まれています。
小町伝説の謎その1小野小町は謎だらけで、誰もその姿も顔も生まれも、立ち寄り先も死亡場所も判りませんが、伝説が一人り歩きして、全国各地に話が出たのでは?しかし、秋田県・京都府・京都市の話は多いですね。
今回は京都市から始めます。
小野小町と大伴黒主が歌合わせをすることになった。
小町の名声をねたむ黒主は本番前夜、小町邸で歌を盗み聞き、万葉集が記された草紙に書き加えた。
そして当日。
黒主は草紙を見せて小町の歌を「盗作だ」と批判する。
しかし、計略を見抜いた小町は草紙を井戸で洗った。
すると、加筆された部分が洗い流され、小町は身の潔白を証明できた。
小町通の南端、一条通との北西角には高さ約五十センチの石碑が立つ。
側面に「小町通」「小野小町雙紙(そうし)洗水遺跡」と刻まれ、伝説を今に伝える。
紙を洗った水は京の名水の一つ「清和水」とされるが、井戸の正確な場所を知る人は少ない。
「一条通は昔、川でした。
ここら一帯は掘れば水が出て、うちの裏にも井戸がありました」と話すのは近くの印刷業永田耕蔵さん(58)。
ただ、小町が使った井戸かどうか、確かなことは分からないという。
訪ね歩くうちに「うちかも」という人が現れた。
小町通の画家木崎秀一さん(75)。
四十年ほど前に家を買い、改装時に近所のお年寄りから話を聞いたという。
「大きさは四メートル四方で、下に降りる階段があり、子どもが落ちるから埋めたという話を聞いた気がします。
一九三〇年ごろに家が建つ前、井戸は二メートルほどうちの敷地に入っていたらしいです」
名前 |
小野小町双紙洗水遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/ka086.html |
評価 |
3.7 |
この地は草紙洗小町の舞台と思われていますが、『小野小町行状伝』にも草紙洗の話は事実とは思われないともあり、この地の近辺に小野良実の邸があったとする情報がある事から、小野小町がこの近辺に住んでいた事から生まれた説話だと思います。
山科の地は小野氏野の荘園ではありますが、内裏に通うには不便であり、別荘の様な地ではあったと思いますが、普段はこの近辺に住んでいたものと思われます。
五代目小町子孫 龍海。