東京大空襲で人々が焼けた跡が残る橋。
『 名にし負はば いざ言問はむ 都鳥我が思う人は ありやなしやと 』在原業平の望郷の歌で有名な橋ですが、77年前の東京大空襲では米軍爆撃機B29がバラまく焼夷弾で、火だるまになった人々が次々とこの橋から川に身を投げ死んでいったそうです東京下町育ちで防空壕で難を逃れた祖母に、よく涙ながらに話を聞かされました空襲が去ったあとで防空壕から出たら、川面死体で埋まっていた光景が忘れられないと言っていました桜の季節などの現代の光景からは想像できませんいろいろな歴史が詰まった橋です。
関東大震災からの復興整備により、1928年に浅草区と本所区の間に架橋。
1945年3月10日の大空襲の際、多くの人が橋の上や下を流れる隅田川で命を落としている。
橋は耐震補強等の改修工事がなされているが、両端部のネームプレートがはめてある親柱の一部は当時のまま残されており、焼け焦げた後が生々しい。
なお、角度的にスカイツリーが正面に位置するようになっていて橋とタワーをまっすぐカメラに収めることができる。
上野辺りにある言問通りから東の隅田川まで行くとこの言問橋に行き着きます。
その近くには言問だんごのお店があります。
昔から団子屋さんは分かりやすいネーミングになってますね。
言問橋は、東京大空襲において東京都下の方々が多数亡くなられ、区内の公園などに仮埋葬された史跡ですが、年々忘れられていくためここに投稿します。
名前 |
言問橋 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-5320-5212 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
隅田川の橋で関東大震災の復興事業で作られました。
スカイツリーとアサヒビールがよく見えます。