心地よい 風が報せる 春便り。
春は景色が良く芝生も綺麗です。
芝生もいいし、桜も見れて、孫君も大満足でした、ちっちゃいけど、ソリ持っていけば滑れるとこあります、滑って楽しんでました。
噂によると日本最古の古墳という話も広大な芝生の広場に古墳が無料で楽しめます綺麗に整備されていて散歩にも最高船山古墳は石室も拝める珍しい場所です。
とても綺麗に整備されていました。
児童公園としても訪問する価値は有ります。
獲○○○鹵大王から鉄剣をもらった人の墓。
教科書でも有名な遺跡。
獲○○○鹵大王は埼玉の稲荷山古墳出土鉄剣の象嵌から、欠落した部分の文字が確認され、獲加多支鹵大王であることが判明。
それにより、古事記で大長谷若建命(オオハツセワカタケルノミコト)と記されている雄略天皇が同一人物であるとされた。
また、5世紀後半に南宋で書かれた『宋書』の倭王「武」とも同一視されているのだが、武は日本の古来の読み方をすると「タケル」だからとのこと。
※ただし、倭の五王(讃=仁徳、珍=反正、済=允恭、興=安康、武=雄略)の解釈については、宋書や記紀を比較すると色々と矛盾があるようで、これを否定する説もある。
とはいえ、この鉄剣の出土は奈良の大和朝廷の権力が熊本に及んでいたことを証明するというのは教科書のとおりだろう。
被葬者はムリテという人物であることがわかっているようだ。
この古墳は謎の遺跡トンカラリンにもほど近く、トンカラリンを作った部族の人物だったのだろう。
一説にトンカラリンは邪馬台国の遺跡ともいわれているので、ムリテは卑弥呼の末裔だったりしてね。
公園が整備されており子供連れにも良い感じです。
併設の道の駅でお弁当も売ってます。
隣の民家村も面白いですよ。
綺麗に整備されています。
山林を分け入って行くような事もなく公園化されていますので特に古墳に興味ない方でも散歩がてらに良いのでは。
■江田船山古墳 歴史の教科書に掲載され、なじみのある方も多いかと思います。
92件の出土品は、そのすべてが国宝であり、特に、日本最古級の文章が刻まれている銀象嵌銘大刀は、当時の地方豪族の権力を示しており、高く評価されています。
古墳を中心とした古墳公園では花見やピクニック、お昼寝など多くの方が訪れる自然豊かな公園となっています。
江田船山古墳の石室は、自由にどなたでも見学することができます。
■墳丘 規模は、墳丘62m、後円部直径41m、後円部高さ10m、前方部幅40m、前方部高さ7.5mの前方後円墳です。
造り出しが、左右の括れ部付近にあり、右造り出しの突端部の長さ8m、幅5m。
左造り出しの突端部の長さ8m、幅3mです。
墳丘の周囲には幅7.5~13mの周溝が巡っていますので、周溝を含めた全長は約77mとなり、清原古墳群に現存する古墳の中で一番大きい古墳です。
築造年代は出土遺物からみて5世紀後半と推定されます。
■石棺埋葬施設は、後円部のほぼ中央に阿蘇凝灰岩の切石を組み合わせた横口式家形石棺(長さ2.2m、幅1.1m、高さ1.45m)で、入口の両側に2枚の切石を並べ羨道となっています。
また、石棺内部や縄掛突起の一部などに朱色の塗料が残っており、築造時期には石棺全体を朱色に塗っていたことが想像できます。
■出土遺物 明治6(1873)年に地元(江田村)の池田佐十が、夢のお告げにより丘を掘ったところ石棺を発掘し、古墳であると発見されました。
池田佐十は数多くの貴重で豪華な遺物を発見し補完していました。
すぐに国が一括して買い上げ、出土品92点は昭和40年に国宝に指定されました。
現在、東京国立博物館に展示保管されています。
遺物の内容は、75文字の銘をもつ銀象嵌銘大刀などの刀剣類、銅鏡6面、冠帽類、耳飾類、玉類、武具類、馬具類、鉄鏃類、土器類など92件に及ぶ豪華なものが出土しています。
中国や朝鮮半島系の遺物も多く含み、広域的な交流を行っていたことが推測できます。
■銀象嵌銘大刀の銘文 「台(治)天下獲□□□鹵大王世、奉事典曹人名无□(利)弖、八月中、用大鐵釜、并四尺廷刀、八十練、□(九)十振、三寸上好□(刊)刀、服此刀者、長寿、子孫洋々、得□恩也、不失其所統、作刀者名伊太□(和)、書者張安也」※説明「天下を治めていた獲加多支鹵大王(雄略天皇456~479年)の世に、典曹(役所の仕事)に奉事していた人の名前は无利弖(ムリテ)。
八月中、大鉄釜を使って、四尺(1m強)の刀を作った。
刀は練りに練り、打ちに打った立派な刀である。
この刀を持つ者は、長寿して子孫も繁栄し、さらにその治めている土地や財産は失わない。
刀を作った者は伊太和、文字を書いた者は張安」なごみツーリズム(和水町観光案内システム))
かなり小さい頃行った時、竪穴式住居のようなものがあった記憶があります!記憶に残るくらい、楽しかった。
いい所に立地しててええわー。
散歩しながら古代ロマンを味わえます。
石棺を見る事が出来ます。
肥後古代の森といえば江田船山古墳である。
清原(せいばる)古墳群中最大、最古と言える。
特筆すべきはもうご存じであろうが銀象嵌銘鉄刀や冠などの豊富な遺物出土である。
全長62m、妻入横口家形石棺を直葬、埴輪も検出、須恵器等、五世紀末の築造とみられている。
これら三基(江田船山、虚空蔵、塚坊主)の古墳は全て前方後円墳で、五世紀末から六世紀半ばの築造で虚空蔵、船山、塚坊主の順となる。
素晴らしい所なので是非ぜひ訪れて頂きたい。
心地よい風が報せる春便り。
名前 |
江田船山古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0968-34-3047 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
教科書掲載の古墳です。
公園に整備されていますので、くつろげる場所です。
駐車場も複数あり、駐車台数も多いのでとても利用しやすいです。
お昼頃は営業マンの休憩所になっているようです。
発掘当初は、わが国で最初の漢字使用例とされた国宝「銀象嵌銘大刀」の出土で有名な古墳だそうす。
75の漢字で記された文字は、「大王の恩を得て、長寿で子孫が絶えることなく続き、自分の領地を失うことがない」ことを約束する文章だったことが判明しています。
古墳の廻り一帯は、和水町により「肥後民家村」として歴史公園となっています。
江田船山古墳から奥に進むと入り口が見えます。
各地からの民家を移築したり、民俗遺構を移転したりして一大古代村が出現している。