昔の井戸が現役で残っていること自体難しいでしょう。
名水白木屋の井戸【東京都指定旧跡】 / / .
コエドアネックス前、ビル群の中に建っている石碑♪名水白木屋の井戸跡地です。
すぐのところにコエドアネックスがあるんですが、今は閉鎖してるもよう。
呉服商の白木屋時代に掘られた井戸。
白木屋デパート、東急百貨店と長く続いた歴史が終焉し、建物は解体。
この石碑は日本橋一丁目交差点角にあったものが、この地に移設再現されたものとのことです。
日本橋交差点の一角にあるコレド日本橋の裏手、永代通りの反対側の路地にあります。
コレド日本橋の場所には、江戸時代には呉服店の白木屋がありました。
白木屋の井戸は、白木屋の、二代目大村彦太郎によって掘られたそうです。
当時の日本橋には水の悩みがあり、これを解消するため店内に井戸を掘ったそうで、湧き出したと水は周辺住民のみならず広く「白木名水」と言って知られたそうです。
現在は「名水白木屋の井戸」と彫り刻まれた石柱が都によって建てられています。
水脈は、ちょっとしたことで変わってしまうから、こんなにビルや地下鉄が走っている都会では、昔の井戸が現役で残っていること自体難しいでしょう。
呆れるのは、この場所にあったのではなくて、別の場所だったということです。
全然意味がわからない。
元々の場所はここではなかったらしい。
日本橋のビル街の中にある記念碑は貴重です。
石碑はあったが、碑は日本橋の交差点から移転されたもの。
井戸等はありません。
直ぐ傍にある、たいめいけんの行列だけが記憶に残っているだけだ。
COREDO日本橋裏手にあります。
日本橋の南側にあった白木屋は近江商人大村彦太郎が寛文2年(1662)の創業で、日本橋北側の越後屋と並ぶ呉服の大店でした。
2代目彦太郎は正徳元年(1771)日本橋周辺の水の悩みを解消するため店内に井戸を掘りました。
難工事の途中、一体の観音像が出たのを機にコンコンと清水が湧き出したと言われています。
以来、周辺住民のみならず広く「白木名水」とうたわれました。
越前松平家では、この水で当主の病が治ったとして明治維新まで毎朝汲み取りに行ったそう。
白木屋を継いだ東急百貨店日本橋店が平成11年(1999)に閉店し、白木名水は消失しました。
今は裏手に小さな碑があるのみになっています。
隣には漱石の名作の舞台の碑もありました。
江戸時代はじめ、この日本橋一帯の井戸は塩分を含み、飲料には適さず人々は苦しんでいた。
1711年、白木屋の2代目木村彦太郎が、敷地内に井戸を掘ります。
その最中、一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。
以来、周辺住民のみならず広く、「白木名水」 とうたわれてきました、とあります。
その「白木名水」 は、数百年の時を経て消失、長い歴史の後、日本橋一丁目交差点角にあったものを、移設再現したもの、とあります。
コレド日本橋アネックス前広場のこの水景は、なんの関係もありません。
1999年、日本橋東急デパートは、白木屋(しろきや、呉服屋です)時代から通算して336年の歴史を閉じました。
跡地は、コレド日本橋となっています。
その白木屋に、水の悪い江戸には珍しく湧出していた、名水の井戸の跡が、ここに残されています。
何もかも変わっていく、生きている街東京ですが、後世の我々が「なんだろう?」と、歴史に思いを馳せるポイントは残していってもらいたいものです。
一見解らない良くみないとここうって感じです❗
井戸には見えなかった。
まさにオアシスだよね!
東京都指定旧跡。
再開発の折、COREDO日本橋annexに『白木の名水』の名残りを水辺の憩いの広場として配置。
白木屋(東急)の名も懐かしく思い出されます。
19321216 東京白木屋百貨公司(東急百貨前身)大火,14d。
名前 |
名水白木屋の井戸【東京都指定旧跡】 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3551-2167 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/tokyobunkazai/meisuisirokiyanoido.html |
評価 |
3.2 |
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お堀の激クサの水が日本橋の水のイメージだったのでこんなきれいな水があるとは知りませんでした。