目の当たりにすると、高い、長いですね。
諏訪大社 下社秋宮 一之御柱 / / .
さすが、立派なお社です。
なんとお湯も湧き出していました。
下社関係の氏子達が、山出しに3日、里曳き3日をかけて、この御柱を設置します。
大がかりですね!山出しの際は、急な坂を曳き子が乗って下る「木落し」が有名ですよ。
目の当たりにすると、高い、長いですね。
秋の青空に映えます。
ガイドさんが寄ってきてくれて説明をしてくれました。
御柱は6年事に取り替えられ、その柱はその後どうするのか?聞くと御札や箸等に生まれ変わるようです。
とてもいいお話でした。
良。
実物を見ると凄いです。
ただ予備知識を持たずに訪問したので残り三本を見るのを忘れてしまった、、、
樹齢100年を越えるもみの木を伐採して、ここまで運んでます。
デカイ。
立派な御柱です。
二重楼門造りの「拝殿」右横に並ぶ「右片拝殿」前に建立されている御柱が「一の御柱」だ。
日本三大奇祭の一つとされる「御柱祭」は、正式には「式年造営御柱大祭」というが、寅と申の年に樅の大木を「御柱」として伐り出して、氏子が各地区分担して二社四宮(「上社本宮」「上社前宮」「下社秋宮」「下社春宮」)へそれぞれ4本ずつ曳行し、社殿の四隅に建てる「諏訪大社」最大の行事だ。
起源については諸説あるが、平安初期の桓武天皇の時代(781/天応元年~806/延暦25年)に「御柱祭」の記録が残されているという。
縄文時代の日本海が大陸と列島の文化交流に大きな役割を果たし、生まれた山陰・北陸独自の「日本海文化圏」で核をなした「出雲」のその神々との系譜から、縄文時代の「日本海文化圏」巨木信仰が「諏訪大社」に繋がったという説もあるという。
実際の「御柱祭」にあたって、「上社」は担当御柱の地区割りを「抽籤式」で決定するので、一番大きな「本宮一之御柱」担当の光栄を目指して、悲喜交交「哀歓劇」が毎回生まれているというが、「下社」の担当御柱の地区割りは取り決めにより固定されていて毎回同じだという。
「下社」の「御柱祭」は、3年前から御用材選定が始まり、「八島高原」近くの「東俣」から曳き出す4月10日前後の「山出し」についで、5月10日前後に「里曳き」が行われるが、見ごたえは何と言っても「男見るなら 七年に一度 諏訪の木落し」と言われる最大斜度約45度、長さ約100mの急坂「木落し坂」を、男たちが「御柱」に跨ったまま下る圧巻の「木落し」だ。
「平成二十八丙申年」の次回は「平成三十四壬寅年」の開催になる。
2016年、御柱がちょうど立っていない時期の割と貴重な画像がこちらになります。
参拝しました。
名前 |
諏訪大社 下社秋宮 一之御柱 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0266-27-8035 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
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今までの歴史を感じる。