縁切寺満徳寺遺跡として復活させた。
素晴らしい歴史です。場所は分かりやすいと思います。
明治5年(1872年)廃寺となりました。
現在、縁切寺満徳寺遺跡公園として、本堂・門・庭園等を復元し、資料館を開設して一般公開をしています。
明治に廃寺になり、昭和の復興ブームのなかで本堂を復元させて、縁切寺満徳寺遺跡として復活させた。
それなりには昔を偲ぶことができます。
本堂は復元ですが、駆け込んだ女性を取り調べるだろう役所の案内板があります。
時代劇でしか知らない縁切り寺を身近に感じられます。
静かで綺麗にされているお寺です。
お寺の中も靴を脱いで無料で入ることが出来て参拝することが出来ます。
満徳寺は鎌倉時代に新田義季(よしすえ)が建立した尼寺であり、彼の娘である浄念尼が初代の住職となりました。
江戸時代になると、満徳寺は徳川家康によって手厚い保護を受けることになりました。
家康が義季の子孫であると名乗ったからです。
幕府の保護によって、満徳寺は鎌倉の東慶寺とともに、縁切寺として存続することができました。
ところが明治維新で徳川幕府が崩壊すると、檀家を持たない満徳寺は存続の危機を迎えました。
駆け込む女性からお金を貰うことはできず、苦し紛れに神社に変えたいと申し出ましたが、これを明治新政府は許しませんでした。
やむを得ず、寺の尼達は帰農を願い出ましたが、誰も農業の経験がなく、寺宝を売却したり、土地を手放したりして、糊口をしのぎました。
しかし、尼達の力だけでは存続することができませんでした。
最後には野草を摘み、大切な古文書を燃やして煮て食べたといいますから…無惨な話です。
大切な文化財は、何とかして守っていきたいものです(;_;)/~~~
名前 |
縁切寺満徳寺遺跡公園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0276-52-2276 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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静かで歴史を感じます。