権田栗毛の伝説、蘇る!
伝説・権田栗毛終焉の地の特徴
熊谷次郎直実の愛馬・権田栗毛にまつわる史跡です。
権田栗毛の生誕地である権田の小池市助の家跡があります。
一ノ谷の戦いを語る貴重な場所として訪れる価値があります。
権田栗毛は、権田の小池市助の家に生まれました。
この辺りは古くから名馬の生産地と知られており、なかでも権田栗毛は力が強く、五六人で引かなければならなかったといいます。
この稀代の名馬は、源頼朝の家臣のなかでも豪勇で知られた熊谷直実と出会い、歴史に名を残すことになります。
直実は権田栗毛を駆って、一ノ谷の戦いに一番乗りの先陣を切り、平清盛の甥であり、美男でも知られた平敦盛を討ち、武名を挙げました。
しかし、この戦いで権田栗毛は腹に矢傷を受けたので、直実は手当てをしてやったあと、故郷へ帰れと放してやりました。
権田栗毛は懐かしい故郷へ向かって走りましたが、着いてみると生家は既に滅んでありませんでした。
昔から、名馬を出した家は必ず滅ぶという言い伝えが、この地方にはあったそうです。
権田栗毛は、生家のまわりを廻って、悲しそうに嘶いたあと、再び直実のもとへ帰ろうと走り出しました。
しかし、三ノ倉の土城谷戸という場所で、毒性のある水を飲み、倒れてしまいました。
里の人々は、この健気な名馬を哀れみ手厚く葬って、供養したといいます(^_^ゞ
名前 |
伝説・権田栗毛終焉の地 |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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熊谷次郎直実の愛馬権田栗毛は一ノ谷の戦いで傷つき、介抱されて生地の権田に帰りましたが、すでに生家は絶えてありませんでした。
権田栗毛は主人の許に帰ろうとしましたが、字道場谷戸(倉渕町三ノ倉)で遂に倒れてしまいました。
里人はここに馬頭観音を建てて葬りました。
道路から30m程行くと権田栗毛が枕にしたという枕石があります。
枕石のある対面側に石灯篭があり廃れた神社跡があります。