島津三像のなかでは最もバエる。
島津斉興と側室・由羅の子。
斉彬が急死して久光の子・茂久が薩摩藩主になると、実権を握って後に国父と呼ばれました。
西郷とは生涯の敵と言われました。
寺田屋騒動が勃発すると藩内の過激派を弾圧し、維新後は廃藩置県を不本意として鹿児島にとどまり、西南戦争では中立を守りました。
名前 |
島津久光公像 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.digital-museum.jp/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=3714372&data_id=7000008 |
評価 |
3.7 |
島津三像のなかでは最もバエる。