南林寺にあったお墓がそのまま残されているというので...
京都伏見でおこった寺田屋騒動は、精忠組の同士討ち。
薬丸自顕流の同士討ちでもあり、師範家の薬丸兼義が寺田屋に掛け付けましたが、斬り合いは終わり悲惨な結果に。
薬丸師範は責任を感じた旨が記録に残されています。
南林寺墓地にあった名士の墓がある。
幕末の藩士や剣術家の墓が多い。
廃仏毀釈で廃寺となった南林寺、広大な南林寺墓地の跡地です。
今では想像できませんが1919年まで天文館の裏側にあたるこの地域に135,000基の大型墓地があったとのことでした。
その時期に草牟田、郡元などに移転されましたが、遺族が見つからないお墓も多くあり南州寺に改装されました。
その中には勤王の志士や学者、武芸の達人の墓も大切に保管されているようです。
名前 |
南林寺由緒墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
南林寺にあったお墓がそのまま残されているというので見学してきました。
墓石を読むととても古いお墓がとても大切にされていました。
敷地はきれいに掃除されていてゴミ1つも落ちていませんでした。