八方館まではしっかりと整備された道である。
日光山の僧兵による築城と案内板にありました。
板橋城も同じような歴史を持つ城であり、当時の日光山は多数の武装した僧兵を擁して宇都宮氏や日光山惣政所職にあった壬生氏と争っています。
登山口には獣除けのフェンスがあるので開けたらきちんと閉めましょう。
道はつづら折れできつい傾斜は少ないです。
木々があるため眺望は今ひとつ。
主郭はやや低い位置の郭で立派な堀切を越えると二の郭。
三の郭は少し広々として大きな竪堀が目立ちます。
その先に堀切がありなだらかな斜面を下ると小さな堀切があって城域が終わります。
そこから尾根伝いに30分ほどで八方館跡へ行けます。
名前 |
小倉城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
小倉城山登山口から小倉城跡、八方館まではしっかりと整備された道である。
小倉山(390.6m)頂上には小倉城跡があり、延徳元年(1489)日光山の桜本坊法印昌安の築城と伝えられる。
対立する宇都宮勢に日光山の勢力を見せつけるために建てられた。
昌安は天文9年(1540)鹿沼の壬生綱房に敗れ、日光山に帰陣する途中小来川で土民に討たれた。
戊辰戦争時には幕軍がここに見張りを立てた。
今でも深く掘られた遺構を見ることができる。