今ではどうにか残ったこの部分だけ。
住吉行宮跡(正印殿跡) / / .
南北朝時代の南朝の行宮跡です。
南朝の後村上天皇は、正平6年(1351)、北朝を奉じる足利義詮が降伏を申し出たので、翌年奈良県賀名生から住吉大社宮司津守国夏邸内の正印殿に移り、ここを行宮(行幸時の仮の宮居)としました。
そのうち義詮は勢力をもり返して天皇の軍は敗れ、ふたたび賀名生に戻りました。
後村上天皇はその後、たびたび行幸されましたが、ついに京都奪還はならず正平23年(1368)3月11日、41歳でこの地で亡くなられました。
つぎの長慶天皇が即位されたのもこの地です。
昔はもっと広かったらしいが、今ではどうにか残ったこの部分だけ。
放置されているように見えるが、文化財でもあるらしく、たまに改修工事してる。
国史跡。
南朝方の後村上天皇の時に2度、長慶天皇の時に1度行宮とされた場所。
後村上天皇はこの地で崩御され、長慶天皇はこの地で即位されたとされる。
ただし行宮がこの地に在ったかという点においては確証を得ない。
だいたいは門が閉まっているので中には入れません。
外から歴史を感じてください。
中に入ることができませんでした。
すみよしのあんぐうしょういんでん、と読みます。
あんぐうとは仮宮だそうで、一時的にここに移ったんでしょうか。
詳しい説明書きはありませんでした。
名前 |
住吉行宮跡(正印殿跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
後村上天皇、長慶天皇ゆかりの地。