無い方がいいかもしれませんね。
昭和52年9月11日、一村が場所をとても気に入って入居したものの、入居してわずか10日、69歳で人知れず息を引き取った家。
元は和光園近くの畑の中にあったものを移設保存したもので、現在地にあったものではないそうです。
名瀬市街地からは少し離れた場所にあり、奄美空港からバスだと約45分の場所です。
田中一村さんが最後に住んでいたお家が、亡くなってから40年程経ってもまだ建ってるなんてびっくり。
サッシの窓を入れたので、毎日絵がかけて嬉しいとおっしゃってらしたという窓がどれかわかった。
食べるものも惜しんで絵を描いたという感じがひしひしと伝わってきた。
徐々に駆逐して行くので早く見に行った方が良さそう。
ちなみに同行者が、近くで作業中の男性に話しかけたら、当時の田中一村さんをご存じだったそう。
勇気があれば聞いてみても面白そう。
栃木県出身、東京の芝中学校を中退され生涯を美術に打ち込んだ田中一村さんの最後の住居が奄美大島にあります。
それが誰か分からなければ決して注目を浴びることはない古びた木造の民家ですが、彼の人となり、そして作品作りにすべてをかけた人生を知ればその重みを肌で感じ取ることができると思います。
南国の樹木や生き物に囲まれて、病弱ながらも創作のためのモチーフに溢れていた暮らしはきっと彼の前向きな気持ちを支え続けていたのではないかと信じてやみません。
時代さえ違っていれば大注目を浴びたはずの彼の作品、ぜひ一度触れてみてほしいです。
以前から一度訪れたいと思っていた場所です。
奄美大島で生涯を閉じた孤高の画家、田中一村氏終焉の家。
没後、その実力が高く評価され知名度が上がりました。
田中一村の家というより、昭和の家という点で価値がある。
家の奥には、染色の泥染めと思う池がある。
奄美を代表する画家の住居。
奄美の自然に惚れ込み、奄美に移り住んで、働いてお金をためては、絵を描くことに打ち込んだらしいです。
田中一村については、奄美パークで事前に学習すると良いと思います。
名瀬の近くにあり、一度は訪れてはと思いますが、歴史や芸術に興味のない方はスルーでよいと思います。
ただ家があるだけなので。
車は数台停めれます。
訪問される方は少ないように思います。
田中一村の住居の所を右折したら、塀の切れたとこをすぐに左折します。
直進すると、よその敷地に入り、Uターンも大変なので、ご注意を。
駐車場が何処だか分かりません。
家も中を見ることができず、観光資源として活かしきれてないです。
奄美パークに一村の家の間取りがあり、どのような生活をしていたのか大変興味ありましたが、外見だけしか見ることができず、かなり勿体無いと感じました。
奄美パークの美術館の近くに移設していただき、ちゃんと管理してほしいと思います。
凄く湿っぽいくてわかりにくい住宅街の奥にあります。
車は一応停められます。
あばら家のままで残っているので夜来るのはやめた方が良さそう。
閑静な住宅街の一番奥に佇む邸宅。
昔は違う場所にありましたが、住宅地になり現在の場所に移り変わりました。
諸行無常を感じます。
こんな所で…と思うと、一村の作品の感じ方も変わってくる。
石碑はいいのですが、読めない立看板は一村へのリスペクトが感じられず、無い方がいいかもしれませんね。
建物は木造のわりにはソコソコ維持されています。
一村が暮らしたであろう当時の面影も読みとれます。
おしいっ!
終焉を迎えるまでの日々が伝わってくるかのようで・・。
虫除け(蚊)対策必要。
かなり朽果てた状態が、悲しい😭もう少し何とかならないのかしら?
時代の先を行ってしまった天才日本画家、田中一村が亡くなったお家です。
一村ファンなら必見です。
タイミングが良ければ、泥染めの作業も拝見出来ます。
田中一村と彼の最大の理解者である彼のお姉さんの無念さが伝わってきました。
アルミサッシを入れ、絵が痛まないと喜んでいたと、田中一村美術館で読みましたが、一村のひたむきさ、孤高の精神を感じます。
当時のままの姿で荒涼とたたずんでいます。
受付があるわけでもなく警備されているわけでもありません。
逆にそれが楽しかったです。
宅地内に トイレもあり 一村好きには まさに聖地。
奥には ハブも出るらしく 行かない方が いいかもね。
名前 |
田中一村終焉の家 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
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田中一村ラベルの黒糖焼酎「一村」を飲み、とても気に入り、記念美術館にも行き、本を購読し、こちらを観に来ました。
無料です。
駐車場は奥にロープで仕切ったスペースが数台あるようです。
建物は中を一切見られないです。
ここへは移設しているとの事ですが、周りの雰囲気も良く、しんみり、じんわりできました。
(2023.3月)