西郷さんが流された奄美で新婚生活してた❗
案内してくれたご老人の方(失礼すみません)が、非常に味があって良い施設だと思いました。
いつまでもお元気でいてください。
質素な佇まいに明治維新の豪傑が隠匿生活とはいえ住んで居たとは思いもよりませんでした。
幕末の動乱を考えると西郷さんにとっては幸せな時期だったに違いありません。
西郷どんと愛加那(西郷どんの妻)さんのお住いの跡この場所の管理人の丁寧な説明等とカセットテープによる説明が分かりやすく、歴史の勉強にもなりました。
管理人の方(龍 家)は、愛加那(龍 家)の兄弟の誰かの末裔だと言ってました 。
心地よく外の風が吹き込んでくる居室にあがって、西郷隆盛の思考に想いを馳せながらのんびりとした贅沢な時間が過ごせる、歴史が好きな人にはたまらない場所だと思います。
定休日に雨天の日が入ってるのは笑いました。
県道を標識を見て横に外れたらすぐにあります。
小さい集落の小道沿い幟があるのですぐわかる。
となりはちいさな公民館。
「西郷さん ここにいたか!」と思いにふけましょう。
西郷隆盛は生涯に3カ所(流謫)や(流罪)により島で暮らしていた。
1回目:奄美大島1859年〜1862年の3年間2回目:徳之島1862年の2ヶ月間3回目:沖永良部島1862年〜1864年の2年間である。
最初の安政6年(1859年)の奄美大島での暮らしは、はじめは鬱屈した日々を過ごしていたといわれている。
その後、ここで現地の子供に読み書きを教えたり、貧しいものに米を分け与えるなどをして、島民から次第に慕われるようになったという。
周囲の勧めで龍郷の名門一族である龍家(たつけ)の娘「愛加那」(あいかな)を妻に迎え、長男(菊次郎は明治に京都市長に就任している)・長女(菊華は大山巌の弟と結婚)の二人をもうけている。
コロナで閉まっていましたが、訪問できて嬉しかったです。
ここに西郷隆盛がいたと思うと感慨が深い。
駐車場も、近く便利。
案内の方の説明が拙いのはご愛敬、決して印象は悪くない。
1603年(慶長8年)、江戸幕府が開かれて日本が新時代に入ると、幕府は中国大陸の明と通航を考えるようになり、薩摩藩主・島津忠恒に琉球王国に進出して明と通じることを許可した。
1609年4月8日(慶長14年3月4日)、島津軍3000名余りを乗せた軍船が薩摩の山川港を出帆した。
4月12日(3月8日)に奄美大島へ上陸して制圧、4月26日(3月22日)に徳之島、4月28日(3月24日)に沖永良部島を次々と攻略し、4月30日(3月26日)には沖縄本島北部の運天港に上陸、今帰仁城を落として首里城へ迫った。
尚寧は止む無く和睦を申し入れ開城した。
島津軍は5月8日(4月5日)に首里城を接収し、4月半ばには薩摩に凱旋帰国した。
薩摩藩は奄美群島を割譲させて直轄地とし(ただし対外的には琉球の一部とされた、1613年(慶長18年)、代官所(赤木名、名瀬など、その他多数)や奉行所を設置した。
中国や朝鮮からの難破船などに対応するため、引き続き王府の役人も派遣させていた。
この頃の奄美群島は、薩摩からは道之島と呼ばれた。
薩摩は住民にサトウキビ栽培を奨励したが、薩摩藩の財政悪化と共に中・後期には搾取のようになり過酷になっていったといわれる。
薩摩はサトウキビを原料とした黒砂糖を幕府や商人に専売することで莫大な富を得たが、サトウキビ中心の栽培はひとたび作物の不作が起こると飢饉に結びつくような有様だった。
しかし、このころに黒砂糖を使った「セエ」(黒糖焼酎)が誕生している。
庶民の嗜好品として評判となり密造酒が多数作られたが、黒砂糖の収穫が減ると困る薩摩藩がこれを取り締まらなければならないほどだった。
主食は主にサツマイモだが、飢饉の時はソテツの実(なり)を毒抜きしたり、幹からでん粉(サゴの一種)をとって粥などに加工し食用とした。
本国から離れたこの地は薩摩藩の流刑地とされていたが、送り込まれた罪人の中には知識人もおり、博学の彼等の中には住民に受け入れられた者もあった。
幕末には西郷隆盛も流人生活を送り、龍家の娘・愛加那と婚姻し子供ももうけた。
黒糖地獄琉球王国では、1623年(元和9年、琉球王朝尚豊3年)に、中国福州へ人を送って製糖法を習得させた儀間真常によって初めて黒糖が生産された。
以後、黒糖は、沖縄の生活や文化、農業や経済と深くかかわりながら普及した。
1609年の薩摩藩の琉球侵攻によって薩摩藩に直轄されることとなった奄美群島では、1690年に薩摩藩によって琉球から製糖業が導入され、黒糖が薩摩藩の有力な財源となった。
1747年には年貢を米に代えて黒糖で納めることとされ、サトウキビの栽培が優先された結果、島民は日常の食料にも事欠くこととなり、その状況は「黒糖地獄」と呼ばれた。
幕末ファンの私は訪問するのを楽しみにしていたが、ホームページや観光協会やSNSにもでてなく突然の休み。
しかも、5日間連続で。
遠方から観光に、来ている人間もいるのでなるべく告知して欲しい。
がっかりです。
I was a pleasure to visit the Bakumatsu fans, but it was a sudden break without visiting the website, tourist association or SNS. And for five consecutive days. Some people are coming to sightseeing from a distance, so please let them know as much as possible. I am disappointed.
入場料200円必要だが、管理人さんから展示の解説受けられた。
西郷隆盛が実際にいた家であり、使用していた品々がある。
奄美大島の中ではぜひ寄りたい史跡である。
駐車場もすぐ近くにあり便利。
近隣にも、西郷隆盛に関する史跡が点在している。
車で移動が必須のやや離れた所には南洲神社もある。
〜 西郷隆盛 三番目の潜居地 〜西郷隆盛さんが息子菊次郎のために建てた新居で、土地の選定にあたっては西郷さん自ら歩き探したそうです。
現在の家は明治43年に再現されたものですが、堀は当時のまま残っています。
また、屋敷入り口正面には勝安芳(勝海舟)碑文が刻まれた石碑が建っており、これは、西郷遺跡記念碑建立運動を起こした元大島島司(現在の大島支庁長に当たる)笹森儀助氏の働きかけによるもです。
見学は有料となります。
備考:各方面に「流謫跡」と登録されているため仕方がないのですが、この頃(33歳から龍郷で過ごした3年間)は流人ではないため、「潜居跡」が正しいのかもしれません。
奄美大島の龍郷町にある西郷隆盛が3度目の潜居地で、愛加那と菊次郎のために建てた新居になります。
大河ドラマ「西郷どん」で見学者も増えているみたいです。
家主の方が詳しく説明してくれます。
西郷隆盛と愛加那が約3年暮らした住宅。
柱など建物の一部分は建築当時のままだそうです。
西郷さん自ら台風の被害が少なさそうな場所を探し、設計した建物であり、当時の質素な暮らしぶりが想像できます。
路線バスでは龍郷で降車、レンタカーでは少し離れたところのガソリンスタンド跡となります。
敷地が狭いため全部を見ても20~30分あれば十分ですが、縁側に座ってゆっくり当時を偲んでみてはいかがでしょうか。
見学料は維持費に使用するとのことですが、大人200円は安すぎると思います。
愛加那さんの親族の方が案内してくれますが、愛加那さんの墓地まで観光にくる方がいると嘆いていらっしゃいました。
1/14/2019道路沿いに案内板があり、観光客用トイレと駐車場があったので、そこから歩いて1分のところにあります。
入場料が必要です。
旗と藁葺き屋根があるので、わかりやすいです。
駐車場が、30メートル離れた場所にある。
すぐに目的対象はわかるが、何やら「観覧料」の立て札が。
大人200円、子供100円。
見るべきところは、跡地の外からチラリと見えるが、テレビによる影響を地主さんに事前に話が通っているだろうか、心配である。
龍郷の県道から、片道約8キロ。
西郷どんの奥さんの子孫とおっしゃる方の、ガイド、なかなか良かったです。
三度目の来訪でやっと中に入ることが出来ました。
前2回は時間内にいったのですが何故か入れませんでした。
念願かなって感激です。
この屋敷で実際に西郷さんが暮らしていたと思うとより感動が高まりました。
資料としてはそんなにありませんが一見の価値はあります。
是非行ってみて下さい。
また謫跡前の海がとても綺麗で、こんなきれいな海を眺めながら西郷さんは何を考えていたのでしょう?
西郷どんのロケ地になるのかな?駐車場は横にあるよ、海岸通りにもトイレと駐車場有り。
龍さんのガイドで見学200円。
奄美大島は、1950年くらいまでは、このような茅葺屋根のお家だった。
台風で屋根が飛ばされるので、今のようなトタンやコンクリートの屋根になった。
ご子孫が住んでおり、説明をしていただけます。
歴史に興味のある方はどうぞ~。
入場料は200円、茅葺き代になるみたいです。
西郷さんが流された奄美で新婚生活してた❗
当時の西郷さんの暮らしなど詳しく説明してくれる。
龍愛子さんと西郷隆盛さんについて詳しく説明してもらえます。
駐車場はないです。
西郷隆盛が島流しにあったときの庵が残されている。
綺麗に保存されている。
部屋に入ることもできる。
名前 |
西郷南洲流謫跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0997-62-3368 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金] 10:00~4:20 [土日] 定休日 |
関連サイト |
https://www.town.tatsugo.lg.jp/kikakukanko/shisetsu/miru/45.html |
評価 |
3.8 |
とても親切にお迎え頂き、建物の中でゆっくりしながらテープの説明を聞かせて頂きました。
とても不思議なような、西郷隆盛は奄美大島の美しい海のそばで良い時間を過ごしていたのかと思いながら、しばしゆっくりさせていただきました。