大きな石碑がふたつ建てられています。
薩摩街道沿いの筑後・筑前両国の境(現在の小郡市・筑紫野市の市境)には、大きな石碑がふたつ建てられています。
小郡市側のものは久留米藩士である佐田修平の文字で「従是南筑後國」、筑紫野市側のものは福岡藩の書家である二川相近の文字で「従是北筑前國」と書かれています。
薩摩街道は参勤交代道であったため、一般の旅人たちだけでなく、島津家や柳川の立花家と言った九州でも主だった大名たちが通過していました。
そのために、単純に国境を示すだけではなく、藩のメンツをかけて見劣りしないものを建てる必要があったのだろうと推測できます。
後から作った筑後側の国境石が、筑前側に比べて微妙に大きく、また綺麗にそろえた石材を使用していることからも、境界を接する大名同士の対抗意識がうかがえます。
旧薩摩街道の、国境石です。
名前 |
筑後・筑前国境石 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.kodaitaiken-ogori.jp/datum/detail.php?serial=39150 |
評価 |
4.3 |
境の石が有ります。
どちらかの石が、多少大きい?見てご確認ください。