碑の前に駐車できるスペースがあります。
糸洲の壕(ウッカーガマ) / / .
狭い道を入って行きますが、碑の前に駐車できるスペースがあります。
壕には通行止めとなっていました。
誰もこれらの悲劇的な出来事を決して忘れてはなりません。
入り口の看板はありません。
駐車するのも難しい場合があります。
戦争ではなく、ここ数年生きることがどれほど幸運であるかを感じて去ります。
(原文)o one should ever forget these tragic events. No signage for the entrance. Can be tricky to park also. One leaves with a feeling of how lucky we are to live these years and not those of the war.
旧日本軍第24師団第二病院跡です!何気ない畑の傍にこの陸軍野戦病院跡の慰霊碑は有りました。
すぐ近くを通る幹線道路からは見つけずらいですが、脇道への入口横に小さな立て札が有り、砂利道を探しながら進み、ようやくたどり着く事が出来ました。
普段訪れる方は余り居ないのでしょう、閑散とした碑に地元の方が供えたお花が飾られていました。
奥まった所にある。
入口に柵がされており、中に入れない。
2010年1月撮影のものです。
通り過ぎるほど小さな場所、ガマの中は立ち入り禁止となってます。
第24師団第二野戦病院壕。
現在の状況を知りたい…。
訪れたのは5年前。
どうやらその後整備された様子だが、当時沖縄の人に所在を尋ねても、近辺の人以外はその存在すら知る人がいなかった。
沖縄戦の悲劇を謳う悲劇だ。
名前 |
糸洲の壕(ウッカーガマ) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
近くにあるウンジャーガマと轟の壕に繋がっています。
小池隊とふじ学徒隊が撤退してきた壕。
隊長である小池勇助自決の地であり、ふじ学徒隊の解散の場所でもある。