中は非常に暗く(ライト必携のこと)足場も悪い。
春くると ひたすら待ちし 若草の 萌え立ついのち 君は捧げぬ水汲みに 行きし看護師 死ににけり 患者の水筒 四つ持ちしまま山城集落の東側に地元住民が避難していたサキアブとよぶガマがある。
沖縄線末期、南部に撤退してきた陸軍病院の本部の勤務者が、ここで傷病兵の治療にあたったことから陸軍病院本部壕ともよばれる。
近くに沖縄陸軍病院勤務の関係者43名を祀る慰霊塔が立つ。
冒頭の二首は陸軍病院の軍医であった長田紀春氏が詠んだもので、歌碑は沖縄戦終結から60年を経過した2005年6月に塔の側に建立された。
綺麗に整備されていました。
忘れてはいけない歴史だと思いました。
大切にしなければいけないと思います。
壕の近くの空スペースに駐車しました。
コロナの影響でしょうか、最近手入れがされいないようで、雑草が茂っていました。
色々な思いが交差する場所。
ただシンプルに観光に行くのはオススメしません。
心が痛む場所です。
今は本当にのどかです。
自由にガマの中に入れる。
懐中電灯が必要。
沖縄戦で第32軍の直属の病院であった沖縄陸軍の病院が南部に撤退して来て広池院長をはじめて病院本部が入っていた。
駐車場はありません。
ひっそりと慰霊碑が建っている。
日本軍兵士たちの慰霊碑は沖縄ではなかなか見つけにくい。
あえて知らそうとは思わないんだろう。
沖縄住民は可哀そう、本土の兵隊は残酷、これ沖縄反日教育の賜物。
沖縄戦での人々の過酷さは計り知れない。
しかし、殺したのは日本軍ではなくアメリカ軍だ。
なぜヤマトンチュウが悪者になるのか?、これ反日教育の賜物。
それより、壕の中に古タイヤとか投げ捨てんな!、どう考えてもヤマトンチュウの仕業じゃないだろうが。
通りから10分位はなれている所にあります。
出入口はかなり急な坂です。
雨の日や雨の後見学するのは厳しいところです。
わいわい皆で…という観光地ではないです。
ひめゆりの塔とは道路反対の場所にガマの入口があり、中は非常に暗く(ライト必携のこと)足場も悪い。
水が滴り落ち(カッパ着用す)鍾乳洞化している。
頭を屈めながら歩き進めると、足元には当時使っていたであろう陶磁器の欠片や薬瓶を入れた麻袋が埋まっており、未だに往時の遺物がそのまま残されている。
多くの人が戦病死や自決した場所だ。
心して行くべきだ。
記念碑と壕があります。
非常に見つけにくい所にあり、たどり着くのに苦労しました。
祖父の足跡を訪ねて感慨無量でした。
名前 |
沖縄陸軍病院之塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://heiwa-irei-okinawa.jp/ireitouhi/okinawarikugunbyouinnotou/ |
評価 |
4.1 |
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南風原にあった陸軍病院の本部がここに移転。
直撃弾を受け病院長はじめ多くの方が亡くなったそうです。