島津歳久公が最期を迎えた地。
平松神社(心岳寺跡) / / / .
Google mapの航空写真を見ても道が見当たりません。
実際に訪れてみると線路を越えなければいけないようです。
山越えの道を踏破するイベントもあるようですが…境内はなんとなく怖い雰囲気があります。
やはり御祭神 島津歳久公が豊臣秀吉に自害させられた方だからでしょうか…ところで九州には南北朝時代以降の方を御祭神としてお祀りする神社が多いような気がしますが、鹿児島県は特にそれが顕著だと思います。
主な例としては谷山神社 御祭神 懐良親王殿下竹田神社 御祭神 島津忠良公松原神社 御祭神 島津貴久公忠元神社 御祭神 新納忠元公徳重神社 御祭神 島津義弘公精矛神社 御祭神 島津義弘公鬼丸神社 御祭神 禰寝重長公大石神社 御祭神 島津歳久公栖林神社 御祭神 種子島久基公照國神社 御祭神 島津斉彬公南洲神社 御祭神 西郷隆盛公 (以上誕生順)といったところです。
島津四兄弟の三男の歳久の自害に追い込まれた場所にある神社。
もとは心岳寺という寺でしたが、廃仏毀釈に合い今は神社。
軍師として著名だった歳久の勝負運にあやかろうと戦に出る前に詣でる人や安産祈願の人が多く、かつては入り口付近に臨時駅ができるほどでした。
今もきれいに掃除されています。
令和年12月31日参拝御朱印あり祭神:島津歳久 殉死者二十七名旧社格:郷社慶長四年に島津義久公によって島津歳久自害の地に建立された心岳寺がもととなった神社。
明治維新後の廃仏毀釈により心岳寺が廃寺となったのちに現在の平松神社が建立された。
通常は無人ですので御朱印を頂く際は事前に電話等での連絡をしたほうが良い。
【島津歳久(半秀吉)に関連あり(この方の死には島津義弘、細川忠興にも関連あり)】(要約)・自刃の地(今現在胴首は日置島津家菩提寺(吉富山大乗寺跡)?)首は元々は京都の浄福寺にあった、胴は帖佐の総禅寺にあった。
1872年にここで胴首が揃い、そして、大正終わりかに大乗寺へ。
2.心岳寺建立そして平松神社へ秀吉の亡き直後の慶長4年(1599年)に、歳久自刃の地に島津義久によって建立された菩提寺(曹洞宗)が心岳寺です。
寺の名前は歳久の戒名に由来します。
寺は明治2年(1869年)の廃仏毀釈で廃絶し、平松神社となって現在に至っています。
慶長11年(1606年)には、心岳寺内の歳久が自刃したその場所に石塔が建てられました。
平松神社、島津歳久墓地殉死者27名の墓地が見えます。
往時の頃の祥月命日には、歳久公の御遺徳と壮烈なる御最後を偲んで、鹿児島三大詣りの一つとして『心岳寺詣り』が盛大に行なわれたといわれます。
武勇、安産、商売繁盛を願って参拝者が夜を徹して続き、数万に及ぶ人出のにぎわいだったそうです。
鉄道では、『平松駅』が臨時に設置され、海上では、『垂水丸』が鹿児島と平松間を往復したといわれます。
また、安政5年(1858年)の『安政の大獄』で追いつめられた西郷隆盛と僧月照が小舟から鹿児島湾に身投げした際、西郷は月照に歳久の話しをし、心岳寺の方に一排を求めた上で飛び込んだそうです。
3.歳久の遺体歳久の首は、肥前名護屋城の秀吉のもとに届けられ首実験をされ、さらに、京都の聚楽第(じゅらくだい)に送られて、一条戻橋にさらされたといわれます。
ここは、昔から、強盗などをした罪人の首をさらす場所だったそうです。
歳久がさらし首になっていた時期に、歳久の従兄弟(いとこ)に当たる島津忠長がちょうど京都にいて、大徳寺の玉仲(ぎょくちゅう)和尚と図って、市来家家臣に盗みとらせ、京都浄福寺に埋葬し、浄石塔が建てられました。
そして、歳久の末裔に当たる日置島津家14代島津久明(照国神社の4代宮司)が、明治5年(1872年)に京都にのぼり、その首を鹿児島に持ち帰り、一方帖佐の総禅寺に埋葬してあった胴体も掘り起こし、それと一体にして、平松神社(心岳寺)に改葬したそうです。
二百数十年経って、ようやく首と胴体が一緒に埋葬されるに至ったわけです。
さらに、大正の終わりか昭和の初め頃に、日置島津家の菩提寺だった大乗寺跡に改葬されたそうです。
車を10号線の退避所に停めて、日豊本線を遮断器なし踏切を横断で行けます。
帰りに線路を覗いたら、ちょうど列車が見えて退避。
気をつけよう!
島津歳久公を祀ってある神社。
とても落ち着く神社 海 川 桜島 山 マイナスイオン 歴史深く 島津子孫。
島津歳久公が最期を迎えた地。
秀吉の死後に長兄義久公が建てた【心岳寺】が元になった神社。
近くに駐車場はなく、かつ幹線道路沿いなので車で行くには要注意。
また日豊本線をまたぐので電車にも要注意。
由緒ある神社ですが車を駐車する所が困難でした。
名前 |
平松神社(心岳寺跡) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.5 |
島津歳久公が最期を迎えた地。
秀吉の死後に長兄義久公が建てた【心岳寺】が元になった神社。
近くに駐車場はなく、かつ幹線道路沿いなので車で行くには要注意。
また日豊本線をまたぐので電車にも要注意。