慈愛を道とし活動の拠点となったお寺の位置情報がほぼ...
戦後間もない頃、当時宿なし住職であった故・深界和尚が宗派の垣根を破って当時戦火の傷跡が深かった当院にて托鉢から得た施しを身寄りのない母子の為に煮炊きし宗派の都合で寺を追われるまでの数年間、慈愛を道とし活動の拠点となったお寺の位置情報がほぼ同じといういわくつきの寺院。
そもそも深界和尚が別の宗派でありまた当時ご法度とされていた事もあって、現住職や現寺院の歴史には含まれない文献とされている可能性大。
9年前に他界した祖母と国家公務員として日本全国を飛び回る定年間近の父もまた深界和尚の施しを受け厳しい戦後の鹿児島にて命を繋ぐ事が出来た、すなわち故・深界住職の施しが無ければ今この時代でクチコミを書き込む自分も出生する事は無かった、と考えると一族にとっては違う意味で縁が深い寺院。
本来の寺院の持ち主である宗派・ご住職一族とは住所以外全く無縁と言い切れる事柄なので、養信寺さん自体にはとりわけ思い入れはありません。
宗派同士のいざこざが無ければ、何かしらの逸話が残ったかもしれませんが時代が時代だけにやむなし。
名前 |
養信寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
099-274-9728 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
最近、納骨堂が綺麗になりました。