夏は夏祭りもやっています✨地元の神社って感じです(...
明治になって数多くの神社が統合されてしまって少なくなった神社に合祀されることになった。
このような明治政府の神を軽んじる、あきれるばかりの無茶苦茶なやり方。
この神社も複数の神様が祀られてるが、そのあおりを受けたのではないかな?古くからこのあたりの人たちの産土神社として崇められた場所。
これからも大切にしていきたいものです。
旧喜連村の産土神。
渡来人が多く居住していた土地柄もあり、祭神には赤留比売命もおられます(元々は龍王社)。
神功皇后が楯の御前社に参拝した際に、楯の御前社を楯原神宮に改名した時から、現在の名前になったのだそうです。
隣のお寺と境内が繋がっているのは、かつての神仏習合の名残かもしれません。
桜の時期は、ライトアップが凄くきれいで、夏は夏祭りもやっています✨地元の神社って感じです(*´艸`)
御祭神:武甕槌大神/大国主大神/孝元天皇/菅原道真公/赤留姫命当社の始まりは崇神天皇6年、国造館に奉斎する国平大神と建甕槌命を同床共殿に祭るのは畏れ多いと考え、別殿を造営して奉斎せよとの詔が下り、建甕槌命を「楯之御前神社」、国平の鉾を「鉾之御前神社」と称して鎮斎し、同7年9月2日に鎮座祭を行いました。
上記の5柱が御祭神ですが、歴史を経て数度の合祀を経ており、資料による異同が多く議論が交わされています。
拝:2021/10/11
延喜式神名帳の摂津国住吉郡の項に楯原神社と記載のある式内社。
現在の御祭神は武甕槌大神・大国主大神・孝元天皇・菅原道真・赤留姫命の五柱だが、当初は一座。
住吉郡には式内社の赤留比賣命神社の記載があるが、その論社は杭全神社の飛地境内社である赤留比賣命神社となっている。
一方、当社も論社とする説があるが、平野郷にある赤留比賣命神社より勧請したものだという説もある。
・社伝によると、崇神天皇の御代、大々杼命は十握剣を建甕槌命の御霊として楯之御前に、国平の桙を大国主命の御霊として鉾之御前社に祀ったのが創祀という。
その後、神功皇后が三韓征伐の際、当社を奉斎する大々杼名黒は当社のお告げを神功皇后に伝えたところ、戦に勝利したことから、楯之御前社と鉾之御前社に神籬を立てたという。
これが住吉大社に楯社(武甕槌命)と鉾社(経津主命)がある所以という。
・この大々杼命は名前からすると意富富杼王のことかもしれない。
当社は息長氏と住吉大社ととても深い関係にあった神社だったのだろう。
・さて、当社の境内には十種神宝社という社があって、これは石上神宮より持ち出された十種神宝を奉斎するという。
当社社伝によると、織田信長が石上神宮を焼き討ちした際に十種神宝は何者かが持ち出し保護していた。
それを聞いた秀吉が生魂の森というところに奉納したが、幕末に持ち出されてしまい、その後古物商の店頭に並んでいた。
それを買い求めて奉斎したのが十種神宝社だという。
#十種神宝。
古代ヤマト王権の成立に深くかかわった #物部氏 の氏神 #石上神宮の神拝詞(しんぱいし、のりと)のうち、十種祓詞(とくさのはらへのことば)で唱える神宝のこと #式内楯原神社 #神宝十種之宮 #三種の神器(検索:ものづくりとことだまの国、2021年1月16日)
この辺りは環濠集落の北西の角で鬼門に位置する場所です、つまり喜連村の環濠集落を守っていたんですね。
梵鐘が神社の境内にある事から、隣りのお寺と元はひとつだったのは想像出来ますね。
賑やかな喜連瓜破駅周辺の喧騒とは無縁の静けさです。
兵火によって移転、〒547-0027 大阪府大阪市平野区喜連6丁目1−38に盾原から楯原神社と名を改めて鎮座しているようだ⁉️文献によると『兵火・台風などの被災で文明13年春現在地付近に移った』
2020/01/05参拝隣接する如願寺が摂津西国三十三所、摂津八十八ヶ所の札所である為、その巡礼中に立ち寄りました。
神仏分離令を壁一枚で隔てる事で対処し寺社共に破壊される事なく今に至るまで、地元に住んで方々に愛され親しまれてきた寺社である事が伺い知れます。
春には桜が咲き乱れるようで、春にもう一度参拝したいと思います。
名前 |
式内楯原神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
06-6709-0232 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

長居公園通りのファミリーマ━ト(ゲオの有る交差点を喜連瓜破駅に向かって次の交差点)の交差点を右折して道なりに行くと右側に有る神社。
桜🌸も後わずか。
夜間ライトアップしていて、幻想的な空間が境内に広がっている。
夜間にお越しになると又違う物が観れますよ。
写真アップしておきますので、お越しの際の参考にして頂けると幸いです。