老若男女の区別なく十字架に磔にされ悲惨な最後をとげ...
元和キリシタン殉教の地 / / .
鴨川左岸の川端通正面上ルの歩道に目立つ碑が建っています。
1,619年(元和4年)に52名のキリシタンが火あぶりの刑により命を落とされ、1994年7月に碑が建てられたそうです。
日本の江戸幕府により、1612年キリシタン弾圧が開始。
1619年2代将軍・徳川秀忠は、京都のキリスト教徒の老若男女に「火あぶりの刑」を命じ、52人が大八車に積み込まれ、この六条河原で生きたまま火で焼かれ悲惨な最期を遂げました。
The Edo Shogunate in Japan began cracking down on Christians in 1612. In 1619, Hidetada Tokugawa, the second shogun, declared "Death by burning" to 52 Christians in Kyoto. Then, 52 old men and women from children were loaded into Daihachiguruma, and they were burned alive on the "Rokujokawara" and had a miserable end.
幾多の武将が処刑された六条河原の処刑場はどのあたりかと歩いていて、偶然見つけた石碑。
説明文もなく、グーグルで検索して由縁を理解しました。
元和5(1619)幼い子を含め52名のキリシタンが方広寺に向かって立てられた27本の柱に架けられました。
文禄4(1595)に完成した方広寺は翌年の慶長伏見地震で奈良より大きな木造の大仏は倒壊、大仏殿は倒壊を免れています。
中洲があった鴨川は今より川幅は広かったでしょう。
52人の人たちの目にはまじかに大仏殿が映ったでしょう。
惜しい!一つの石ぽつんと残さなんて!キリスト教信者が長崎まで連れて行かれところたった一つの石!クリスチャンに対する日本の現住所!
耳の墓周辺を歩いていると見ることになる所...
천주교 신자들이라면, 들러볼 곳.귀무덤에서 100m. 주차장이 없다.「京都の大殉教(元和キリシタン殉教)」1619년에 일어난 천주교 박해.52명을 화형한 곳, 카모가와 강변에서 화형.특히 하시모토가족은 어린이 5명과 함께 화형당함.어린 자식들도 하느님 나라에 간다고......信者は、女性を含んでいましたが、老若男女の区別なく十字架に磔にされ悲惨な最後をとげました。
52名のキリシタンの中には、2歳の幼児など11名の子どもたちも入っていたといいます。
中でも、一際目をひいたのが、橋本太兵衛ジョアンの妻・テクラとその子どもたちでした。
テクラは、5人の子どもと共に焼かれました。
テクラは左に3歳の幼い女の子を抱き、右には12歳の男の子がつるされていたといいます。
あとの2人の子どもはそれぞれ別につながれていました。
間もなく十字架の下には薪が積まれ、夕刻になると火が付けられました。
炎と煙が上がると幼児たちは泣き始めたので、母親たちは子どもたちを慰め、もうすぐ天国に着けると励ましたそうです。
燃えさかる炎の中、途中子どもの一人、カタリナの綱が火で焼かれて切れました。
ところが、カタリナは逃げることなく、母親のつるされた十字架のもとへ走り寄っていきました。
「お母さま、もう目が見えません」という娘の声に母テクラは「イエズスさまとマリアさまにお祈りしましょう」と答え、最後まで3人の子どもたちをしっかりと抱きしめたまま、炎の中で亡くなったのでした。
名前 |
元和キリシタン殉教の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi055.html |
評価 |
3.3 |
クリスチャンたちが殉教した場所に建てられている石碑です。
川沿いにひっそりとたっています。
京都と言う場所で隠れながら信仰を守っていた人たちがいるというのはすごいことだなーと思いました。