名前 |
多摩よこやまの道の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
多摩よけやま道の碑多摩丘陵の尾根道に当るこの道を「多摩よこやまの道」と名付け、散策路として整備しました。
この尾根道は古代より武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また西国と東国を結ぶ交通の要衝として活用されてきました。
この東西に伸びる尾根筋には鎌倉古道(古街道)が南北に交差し、その痕跡が各所に残され、またさまざまな伝説等も語り継がれています。
古代~中世~江戸時代に渡って政治、軍事、文化、産業、社寺参詣などを目的として、東国西国間の交易を行う商人や武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人・官人、また幕末には新選組ゆかりの人々も行き来したと推測され、歴史とロマンを感じることのできる道です。
万葉のロマン 防人・見返りの峠道万葉集では望郷や別れを惜しむ道筋として「多摩の横山」が詠われています。
古代、国防警備の目的で北九州に配置された防人という兵士たちは東国から陸路で都へ、さらに難波津(現在の大阪府の海岸)から船で瀬戸内海を通り九州へ向かいました。
再び生きては戻れない覚悟の彼らが、この「多摩よこやまの道」の尾根で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ姿が浮かんできます。
(多摩市HPより)