こちらの立派なお寺にたどりついた。
夕方に散歩して公園だと思って入ってみたら墓がたくさんあった。
😅しかし、人生と死は果たして別々のものでしょうか🪦 ナムナム。
2023.9文和2年(1353年)に建てられた臨済宗建長寺派のお寺。
立川市の歴史的には最古の寺になるのではないでしょうか?文化財として国宝の六面石幢(せきどう)がありますが、現在新収蔵施設建設にともなう文化財保存修理のため、2024年3月までの予定で石幢の公開は中止となっています。
平成7年(1995年)に火災により本堂ほか3棟が焼失。
その際に開山物外可什禅師坐像(重要文化財)や釈迦牟尼坐像(市指定有形文化財)も焼失しています。
新しい本堂が、平成16年(2004年)に再建されています。
そういった歴史的な経緯もあり、創建や寺格は凄いですが、ちょっとあっさりした印象もあります。
奥多摩街道を渡り静かな住宅地を進むと大きな石門が見えてくる。
石畳の参道に銀杏の木が二本並び、山門をくぐると湧水が流れて太鼓橋が架かる美しい景観です。
中世の豪族でこの辺りを支配した立川氏の居住跡と言われ、1300年代末期建立の名刹です。
しかし本堂前の庭の敷石には波形のモダンな彫り物が施され、庭石も新しく、最近手入れされた感じです。
本堂の裏へ回ると、目の前にJR中央線が走り、街並みが続く彼方に奥多摩の山並みを俯瞰する大パノラマ…駅から歩いて来た道は平坦だったので気がつかなかったが、この地は高台になっていて立川崖線の上だということがよくわかります。
静かな広い境内は観光地へ来たようで見所は多いが、国宝の六面石幢は新しい収蔵施設建設による補修工事のため、現在拝観中止になっています。
2026年再開の予定です。
境内には誰ひとりいず、暫しの間、静かな時を過ごしたあと根川緑道へ向かいました。
断続的に現れる柴崎用水を追って徘徊していたら、こちらの立派なお寺にたどりついた。
境内や墓所に水路が張り巡らされ、池がしつらえてある。
立地が崖上でそれを活かした庭造り、樹齢の古そうな大銀杏が並んで生え、大きな睡蓮鉢がいくつも並んでたり、石畳の凝った彫刻、長い参道と楼門と太鼓橋、墓地の開発余地がまだまだありそうな広い空き地など、古いものから新しいものまで広い空間に揃っているのを見たので「いきおいあるな…」という感想。
立川市にある非常に大きく立派なお寺です。
立川駅からは離れていますが、モノレールの柴崎体育館駅から徒歩7、8で行けます。
参道に山門、池、本堂とどれも立派で荘厳な趣があります。
境内の清掃や植栽の手入れがしっかりされていて、「凛」とした雰囲気が漂っています。
建物は新しいですが、歴史のあるお寺で、この地を治めていた武蔵七党の立川氏の居館跡に建てられています。
館の遺構として、本堂の前に非常に立派な土塁の跡が残っています。
裏手の墓地の川側にもうっすら土塁の跡があります。
また、国宝の六面石幢があり、無料で拝観できます。
外(庭)の覆屋に安置されているので、阿吽の仁王と四天王の全六面とも見る事が出来ます。
境内は川岸の切り立った丘陵地にあるため、本堂横からは遠くまで見渡せ、とても景色が良いです。
近くを中央線が通るので、撮り鉄の方にもオススメかも。
Surprisingly beautiful!I didn't expect I could see a national treasure here. You can see Prince Shotoku in the gate.国宝がこんなところにあるなんて。
でも、なんといっても、青海波の石畳が美しい!門の中に聖徳太子のお姿が見えます。
臨済宗建長寺派別格のお寺です。
国宝の六面石幢があります。
お爺ちゃんお婆ちゃんお父さんが眠ってます広いし綺麗に手入れが整ってるし桜の季節は見事に桜が綺麗です。
臨済宗建長寺派とても立派な寺院。
立川氏館跡。
山門横に土塁が残っている。
本堂裏へ回ると段丘となっており、高い崖。
眺望も良く、この地に居館を構えた意味が理解できる。
今まで狭山丘陵の近隣の寺院をいくつも訪ねたが、その中でも一二を争うほど立派な寺院。
境内には多数のストラクチャがあり、また新しい。
名前 |
普済寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-522-3664 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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1945年4月4日のアメリカ軍による立川市に対する空襲で亡くなった引き取り手のない方を埋葬した「戦災殉難者慰霊碑」が墓地にある。
ここの北西約450mにある山中坂防空壕などで亡くなった方々の埋葬場所に1975年(昭和50年)に建立されたものである。
なお、4月4日の空襲では、ここ柴崎町はじめ立川市内で144名の方が亡くなっている。