生家に近い雑司が谷にお墓があるのですね。
明治から昭和にかけて活躍した永井荷風のお墓です。
小さな墓ですが、そこが権威を嫌い孤高の文人だった荷風らしいです。
そばに立つ紅葉がきれいでした。
ある保険会社のデータによりますと、東京23区内で1人暮らしの高齢者(65歳以上)が孤独死で亡くなっているのは、平成27年で3.127人の1日あたり8.5人にもなっているとのことでした。
さらに増加傾向にあるようです。
一般的に孤独死とは「誰にも看取られることなく独りで逝く」死に方を意味していますが、そこには「みじめ」「あわれ」「不幸」というような暗いイメージ(心の中に思い描くこと)で捉えられていますね。
高齢化社会が抱える宿命的な現象です。
明治から昭和にかけての小説家だった永井荷風(ながいかふう)は、60年ほど前になる昭和34年4月29日に、胃潰瘍の吐血による心臓麻痺で死去しています。
その最期は市川市八幡の自宅でした。
享年79歳でしたから高齢者と言えるでしょうか。
当時の日本は、まだ高齢化社会と言える状況ではなく、先の言う「孤独死」をクローズアップ(大きく取り上げること)することはありませんでした。
そんな中、永井荷風の訃報(30日朝日新聞)には「背広、ズボン姿で血を吐いて死んでいるのが家政婦に発見された」とあり、孤独死の「あわれさ」を漂わせているのです。
ある意味では、世に出た孤独死の先駆者だったと言えるかもしれませんね。
彼の作風は、東京下町を愛しながら、江戸からの情緒・風流・粋に重きを置いて、文明開化に急進する明治(政府)の潮流に反骨的でした。
『深川の唄』では「薩摩の足軽風情が経営する明治」と藩閥政府を露骨に批判しています。
また、私生活の面でも、哲学書『粋の構造』を著した九鬼周造でさえも兜を脱ぐような耽美(たんび)主義(美に最上の価値を認め、それを唯一の目的とする芸術や生活上の立場。
出典:小学館デジタル大辞泉)を貫いていましたね。
今年の2月24日に、96歳でお亡くなりになった日本文学研究者ドナルドキーンの『東京下町日記』では、永井荷風の『すみだ川』を読んで、「流れるような絶妙な言い回しこそが日本の美」と絶賛しつつ、「古典が専門の私が最初に英訳した近現代文学が『すみだ川』だった」と述懐しています。
また、第二次世界大戦中では、政府主導による言論統制の一環で設立された作家組織「日本文学報国会」には、「戦前は左翼系だった作家も含め、免罪符的に多くが入会したが、荷風は拒否し硬骨漢ぶりを発揮した」とも紹介しています。
そんな荷風は、雑司ヶ谷霊園で眠っています。
散歩がてら墓前にお立ちになることをお勧めいたします。
そうすると、彼の著作を読みたくなるかも知れませんよ。
永井 荷風(ながい かふう)日本の小説家。
本名は永井壮吉(ながい そうきち)号に金阜山人(きんぷさんじん)・断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。
1879年12月3日、東京市小石川区に生れる。
1959年4月30日、死去。
享年79歳。
1900年、『おぼろ夜』でデビュー。
1952年、文化勲章。
代表作『あめりか物語』(1908年)『ふらんす物語』(1909年)『珊瑚集』(1913年、訳詩集)『腕くらべ』(1918年)『濹東綺譚』(1937年)『断腸亭日乗』(1917年 - 1959年、日記)
名前 |
永井荷風の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.6 |
永井荷风,我大学时读了很多他的书。
过来看看。