、、、との碑がここにもあるが、この道すがらに「角打...
弘前市指定有形文化財 長勝寺 黒門長勝寺の黒門は禅林坊街の最も東側に位置しており同寺の総門(表門)になります。
建立された年代は定かではありませんが、延宝5年(1677)以前には現在地に門はなく、貞享4年(1687)以降の史料では現在地に門の表示があることから、この10年ほどの期間に門が作られたと思われます。
門の総高は4.9メートル、主柱の柱間は4.3メートルで、主柱上と左右の控柱と主柱の間にそれぞれ切妻造の屋根が載り、平面はコの字形になっています。
正面に土居を作り入口を外桝形(そとますがた)として、出城の性格を持たせたといわれる長勝寺構(ちょうしょうじがまえ)に、城門として多用された高麗門があるのは興味深いです。
2022年9月に訪れました。
長勝寺の総門(表門)に当たります。
延宝5年1677年〜貞享4年1687年頃に建てられたと考えられています。
長勝寺構と呼ばれた禅林坊街は、弘前城の出城としての役割りを負わされていました。
出城の城門として、高麗門の様式を取っているものと思います。
不許葷酒入山門、、、、、との碑がここにもあるが、この道すがらに「角打ちのできる酒屋」もある。
般若湯と解釈するか、下山後に堪能するか、、、、だろうな。
禅林街の入口となる門です。
ここ、黒門から三門までの直線道路の左右にお寺が建ち並びます。
杉の木でしょうか、とっても絵になります。
雪の積もった日はもっと府営があるのですが、今年は雪が少なく、見に行くことかなわず。
写真も撮れませんでした。
大型車は頭上注意。
弘前城の防御の仕組みである長勝寺構えの門、ここから長勝寺までの道の両側に寺院が建ち並び、禅林街と呼ばれています。
黒門弘前市指定有形文化財。
長勝寺に向かって初めてこの門をくぐる時は良い緊張感がありました。
以下は黒門に取りつけてあるプレートに書かれている内容です。
「長勝寺構・・・慶長十六年 西暦1611年 弘前城を造営した津軽信枚公が ここに禅院三十三ヶ寺を集め 宗教 思想文化の上に大きな役目をして 今日に至った 昭和廿七年 弘前城跡と共に 特別史蹟地に指定された」今回は秋に訪れましたが、冬にも立ち寄ってみたい場所です。
ここから長勝寺までお寺が建ち並び‼️壮観です👍
ここ禅林街は、2代藩主・津軽信枚(のぶひら)が、弘前城の南西(風水でいう裏鬼門の方角)の砦として、1610年に津軽一円の主要寺院をこの地に集め、禅宗(曹洞宗)の寺だけ33ヵ寺が連なっています。
長勝寺構(ちょうしょうじがまえ)とも言われます。
「黒門」は、長勝寺の総門として位置づけられていますが、禅林街全体が弘前城の出城的な役割を持っていたことから、城郭門としての機能もあり高麗門形式を採用している、と言われています。
弘前市指定有形文化財に指定されています。
黒門の奥には、禅林街33ヵ寺の内21ヵ寺があります。
黒門をくぐった突き当たりに「長勝寺」が建っています。
「不許葷酒入山門(葷酒山門に入るを許さず=くんしゅ さんもんに いるを ゆるさず) 」と刻まれた「戒壇石」という石の柱が立っています。
「くさいにおいのする野菜と、酒は、修行の妨げになるので、寺の中に持ち込んではならない」という意味らしいです。
名前の通り、黒色です。
弘前市 長勝寺 禅林街 黒門(ひろさきし ちょうしょうじ ぜんりんがい くろもん) 弘前市西茂森の長勝寺(禅林街)の入り口にある黒門。
昨年(2015/09)、頭のおかしい土建屋(公表されず)が、ユンボのアームを下げずにトラック積載したまま黒門を通過し、ド派手に破壊させた。
以前にも衝突事故は起きていたが、これほどド派手な大破壊を経験したのは今回が初めてだろう。
これにより、弘前市の顔のひとつである黒門が一事は修復不可能ではないか。
仮に直しても文化財としての価値が損なわれるのではないかと言うほどに大破。
弘前市民を深い悲しみに突き落とした。
そして今年(2016年8月)修復の終えた黒門が、長勝寺のある禅林街に蘇った。
弘前市のマークはお寺のマークと同じ「まんじ」である。
お城と岩木山と寺と神社と学問と林檎の街 弘前市の顔が帰ってきた。
名前 |
黒門 |
---|---|
ジャンル |
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電話番号 |
0172-82-1642 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/shi/shi1.html |
評価 |
4.2 |
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