名前 |
島津忠将供養塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
有村溶岩展望所から車でゆっくり走って30分位です。
忠将の供養塔は大通りから狭い旧日州街道を少し入ったところにあります。
車は大通り沿いの中茶屋公園の駐車場へ停めて歩いて行きました。
しばらく行くと更に左手への脇道があり、そこをしばらく進んでいくと草ぼうぼうの中に突然供養塔が現れました。
周りの草を足でなぎ倒し写真を撮ってきました。
尚、中茶屋公園は旧日州街道における茶屋の跡なのでしょうか?上の茶屋は良質な冷たい水が湧きトコロ天が有名だったと説明されています。
できれば食べてみたいと思いました。
付近には幾つかの案内板がありますので廻城の戦いの参考になると思います。
また、錦江湾越しの桜島も美しいです。
さて、島津忠将は島津忠良(日新斎)の二男、貴久の二弟です。
この付近に本陣を置き肝属兼続と廻城の攻防戦を行いましたが、衆寡敵せず戦死しました。
忠将の子以久(もちひさ)は父の冥福を祈り1575(天正3)年にこの供養塔を建立しました。
因みに、案内看板に「二世島津以久(宮崎佐土原藩主)・・・」とありますが、以久が日向佐土原に移封となったのは1603(慶長8)年ですから、垂水在住時に建立したものと思われます。
さて、次は、貴久の子、島津四兄弟の末弟家久が初陣で頭角を現した廻城の戦いの敵方の城の跡です。
急いで出発しよう。